耳ざといノアには、玄関のドアが開かれる前から聞こえていた。
小さな足音が、待ち切れないとばかりに小走りでやってくる。間も無くドアが開かれ、そしてパタパタと音を立てながらノアのいるリビングへと入ってきた。
「ノ、ノアさんっ」
「おかえり、朝陽。まずは落ち着いて……『ただいま』を言おうか？」
帰宅した朝陽は、顔いっぱいの興奮を一瞬で凍り付かせてしまった。
にっこりと微笑むノア。その笑顔が、この家の中で何よりも恐ろしかった。
「あ、あぅ……す、すみません！ ノアさん！ ごめんなさい……お、怒らないで……ください」
笑顔から一転、両目に溢れんばかりの涙を溜めて朝陽が頭を下げる。
ほとんど条件反射と言っていい。ノアが何について怒っているのかも分からないまま、その怒りを鎮めるべく従順な姿勢を示す。
頭を下げた朝陽には見えないが、朝陽の慌てた様子にノアは苦笑していた。三つ編みを揺らしながらぷるぷると震える両肩に送られる眼差しは優しく「本当はそんなに怒っていないよ」といった具合に細められる。
それでも声色だけは元のまま、朝陽を窘め続ける。
「ふふ、オレは『謝って』なんて言ってないよ、朝陽？」
ハッとする朝陽。ノアが言わんとしていることを悟ったようだ。
小さな声で「はわっ」と呻くと、すぐに顔を上げる。目に入ったノアの不吉な笑みに顔を引きつらせながら、辛うじて口を開く。
「は……は、はい。……た、ただいま……です」
「うん、おかえり」
外から帰った時のお決まりの挨拶。海外から来た彼らには馴染の無い習慣であったが、ここは日本。その風土に逸早く慣れる為にも、日本の挨拶は欠かさずするようにとノアが決めたルールであった。
朝陽がそのルールを思い出してくれたことで、ようやくノアの笑顔が、彼本来の穏やかで気品に満ちたものに変わる。その微妙な変化を捉えることは、もう朝陽も慣れたものだった。
「はぁ……ごめんなさい、ノアさん。オ、オレ……ノアさんから連絡をもらって、つい嬉しくて……」
静かでありながら迫力のある叱責から解放されて、安堵したように朝陽が息を吐き出す。
まだ少しおどおどして見えるが、ノアと話す口調からは緊張が解かれていた。
「気持ちは分かるけど、皆で決めたルールは守ってもらわないとね。それじゃあ、きちんと挨拶が出来た朝陽に例の物を渡してあげよう」
元より気弱な朝陽を脅して楽しむ趣味も無い。ガサガサと音を立てながら、ノアが脇に置いてあった紙袋の口を開ける。朝陽もパッと表情を明るくさせた。
その紙袋の中身を楽しみにして、ここ数日ずっと待っていたのだ。ようやく今日、ノアから届いたことの連絡をもらったから、まっしぐらに急いで帰ってきたのだ。
朝陽がどれだけ楽しみに待っていたのかは、頼み事をされたノアが一番よく知っている。帰宅して早々に怖がらせた詫びも込めて、袋の中身をあっさりと引き渡すことにした。
「はい、朝陽。これが欲しかったんだろう？」
ノアが取り出したのは、一冊の雑誌だった。
どこかの街角を背景にして立つ欧米風の容姿をした少年が表紙を飾り、金色のロゴで大きく『ＴＥＥＮ』と書かれている。
日本国外のティーンエイジャーを専門に扱ったモデル雑誌だ。
そして、ノアが指差した見出しコピーに書かれた名前が朝陽の胸をときめかせる。
「ラビさん……！ はい、これです！ ありがとうございます！」
滅多に感情を大きく昂らせることのない朝陽が、飛び跳ねんばかりに興奮している。それを見て、ノアも朝陽の頼みを聞いてやって良かったと微笑んだ。
思えば今回の話は、ノアが『ＴＥＥＮ』のモデルの仕事を引き受けたのが始まりだった。
北欧の王子かと思わせるような、豊かなプラチナブロンドの長髪に深いブルーの瞳。洗練された教養の高さと柔らかな物腰。そして、これは本人にとっては不本意なのだが特異な出自も相まって、雑誌社がこれほどの好条件を満たしたノアを放っておくはずがなかった。
（親の力か……オレのことを見てくれないのは悲しいな）
自分の実力ではなく家系の話題性を取り上げられてオファーが来たことに戸惑い、モデルの仕事を受けるべきか迷っていたノア。そこへ助言をしてくれたのが、二年前に一度だけ『ＴＥＥＮ』に載ったことのあるバンド仲間のラビだった。
ラビに背中を押されて雑誌社のオファーを受けた訳だが、その話をメンバーにした後で、こっそり朝陽にお願いをされていた。
『あ、あの……ラ、ラビさんがモデルをしていたっていう、その雑誌……オ、オレも読みたい、です』
朝陽にしては珍しい申し出に驚いたのか、ノアも即答することが出来なかった。それでも、すぐに快諾してやろうという気持ちが浮かんできた。
朝陽が、自分を信じて頼ってくれたのだから。他のメンバー（特にラビ）に聞かれるのは流石に恥ずかしくとも、ノアに対してはしっかりと要望を出してくれたのだから。
それに、朝陽がどうして雑誌を求めたのかの理由も知っている。引っ込み思案な朝陽が見せてくれた勇気と恋心を、ノアは無駄にしたくはなかった。
とは言っても、頼まれたのは二年前の号だ。ノアも実際に手に入れるのは難儀すると思った。
ダメ元で雑誌社に頼み込んで探してみてもらったところ、運良く在庫の中から見つかったそうだ。雑誌社もノアに仕事を断られるのは得策ではないと、出来る限り協力してくれた。
その二年前のラビの写真が掲載された『ＴＥＥＮ』が送られてきたのが今日の話。ノアに相談をしてからここ数日、眠れぬ夜を過ごしてきた朝陽にとっても嬉しいニュースだった。
表紙を飾っているのは別のモデルだが、そんな姿は朝陽の目には入らない。見出しに書かれたラビの名前だけを見つめて、震える指先で念願の雑誌を受け取る。
「あ……あ……ありがとうございます!!」
それ以外に上手い感謝の言葉が見つからないようだ。千の言葉でノアの骨折りに報いるよりも、欣喜雀躍の笑顔で深々とお辞儀をする。
「ふふっ、いいんだよ。それより、朝陽も早く読みたいだろう？ 自分の部屋でゆっくり楽しんでおいで」
「は、はいっ！」
ノアの台詞に如何なる含みがあるのかなどとは少しも考えず、朝陽は入ってきた時よりも更に足早にリビングを後にした。
「やれやれ……朝陽もラビのこととなると、周りが見えなくなるみたいだね」
半分呆れながら、それでも二人の仲を見守るようにノアの瞳が朝陽の影を見つめ続ける。その高貴で涼やかな碧眼には、ちょっとしたヤキモチが窺えた。
同じ家に住みながら、他のメンバーに対するのとは明らかに異なる朝陽からラビへの想い。そして、それをお互いに分け合える恋人同士という関係を築けている事実。
大切な仲間である二人の幸せを願う一方で、ノアは二人のことをいつも羨んでいた。
急ぎ足で階段を駆け上り、自分の寝室へと直行する。よほど興奮していたのか、ほとんど体当たりに近いくらいの勢いでドアを開ける。
誰の邪魔も入らない、一人きりのプライベートルーム。今の時間、自分以外には二階に誰もいないらしく、フロア全体を静けさが包み込んでいる。
途端に左胸を打つドキドキが気になり出し、まずは落ち着こうと息を整える朝陽。
肩から提げた鞄を下ろし、その上にノアから渡された雑誌を一旦置く。
クローゼットを開けて、制服の上着とズボンを丁寧にハンガー掛ける。ネクタイを外して、ワイシャツのボタンを一つだけ開ける。小さな溜息が自然と零れた。
収納ケースから、グレーのスウェットパンツを取り出す。膝のところに猫のアップリケが付いた朝陽のお気に入りだ。下だけ部屋着に着替えた状態でクローゼットの戸を閉める。
ドキドキは未だ治まってはいない。すぐに雑誌を開かず先に着替えを済ませたのは、落ち着いた状態でじっくりとラビの写真を堪能したいから。気持ちを静める為の時間稼ぎのつもりだった。
どうやら、それは自分の恋情が許さないらしい。恋い焦がれ愛し合う仲であるラビ――その彼の知られざる貌を捉えた写真を前にして、十七歳の少年に「おあずけ」は効かなかった。
ならば、もう堪える必要は無い。密室の自室で、誰に遠慮する必要も無い。サッと身を翻すと、雑誌を置いた鞄の前に座り込んだ。
今一度、恭しく雑誌を手に取る。海外モデル専門誌『ＴＥＥＮ』――この中にラビの写真が収められている。
流石に表紙を飾っているのは別のモデルだが、それでも手に入った喜びから朝陽が自身の胸にギュッと抱き締める。
「はぁ～～～……」
思わず吐き出される深い溜息。愛しの恋人の姿を思い描けば、シャツを隔てて伝わる表紙の冷たさもむしろ熱いくらいに感じる。
自分の知らないラビの姿を拝める。二年前、まだ十五歳の写真だというから、今よりあどけないのだろうか。それとも、もうプロのモデルとして大人の表情を見せているのだろうか。
朝陽とは同い年でありながら、そうは見えないほど大人びたラビ。その顔つきは凛々しく、その身体つきは逞しく、誰が相手であっても分け隔てなく接する優しい性格。
殊に恋人である朝陽のことはいつでも目に掛けており、非常に大切にしていることが朝陽本人にもよく分かった。
ラビから愛されていることを確信する時、朝陽はこの上ない幸せと喜びを感じられる。この人にだったら自分の全てを捧げたって構わないと、心の底から願っている。
同時に、ラビが持つ貌や心根を全て知り尽くしたいとも思っている。十七年という自分たちの半生を振り返れば、二人だけで過ごした時間はごく短いものでしかない。
運命が自分たちを引き合わせるまで、恋人はどんな人生を送っていたのだろうか。どこで産まれ、いつ音楽と出会い、誰と夢を語り合っていたのか。
胸の中の雑誌を介することで、その一端を覗くことが出来るのだ。ページを開く前からワクワクし、今夜はこのまま雑誌を抱いて寝ようかという気にさえなってくる。
「…………よ、よし！」
いつまでも抱き締めたままでは、本来の目的を達成できない。朝陽は、小さく意を決した。表紙をめくって、目次の中から見出しコピーに書かれているのと同じ文句を探し当てる。
目当ての記事が載っているページ数は分かった。だいたいの見当を付けてパラパラとめくっていく。不意打ちでラビの写真が目に入らないよう、端っこのページ数の部分だけが見えるようにして。
「えっと……あ、あった！」
目次に記されていたページ番号を見付けると、静かに深呼吸をして雑誌を大きく左右に開く。左側のページを丸々使ったカラー写真。全身が写された少年の姿に、朝陽は息を呑んでしまった。
「あ……！ え……？」
全体的に薄暗い写真。背景には廃ビルが用いられ、崩れた壁の向こうには曇天を臨める。無機質な背景に浮かび上がる被写体もまた、どこか陰のある雰囲気を醸し出している。
今から二年前に撮られた写真のはずだが、収められた少年の顔は朝陽がよく知る現在のものよりも大人びて見える。正確に言えば、陰鬱で攻撃的な目つきでファインダーを睨み付けていた。
特徴的な銀髪は、今よりも少し短い。それでも肩まで届く朝陽の三つ編みより長かった。今と変わらぬ銀色の輝きが、ダウナーな写真の中で異様なまでに美しさを際立たせている。
その手触りや匂いまでよく記憶している髪の毛から、やはりこの少年はラビ本人なのだと朝陽も確信する。それでも目をしばたかせてしまうのは、朝陽が一度も見たことのない表情を浮かべている為か。
服装も同様に、普段のラビの趣味とはかけ離れている。胸にスカルの刺繍があしらわれた革ジャンを着て、首には鈍く光る太い鎖を掛けている。
これではまるで、路地裏を縄張りにしている不良のスタイルだ。
それも服装だけがそうイメージさせるのではない。端正なラビの顔に付いた青痣たちが、殴り合いの喧嘩に明け暮れる姿を物語る。
この写真は、そういった不良をコンセプトにしているのだ。わざと痛々しいメイクを施しているのも、全て撮影の演出だ。
そう割り切って考えようとしても、なかなか上手くいかない。睨み付けてくる目の上は少し腫れており、口元には血が滲んでいる。メイクにしては、あまりに生々し過ぎる。
「ラビ、さん……」
思わず呟いた名前には、戸惑いが多分に含まれていた。
いつでも朝陽を庇い、見守り、優しく包み込んでくれるラビからは想像も付かない姿。攻撃的で暴力的な視線は、朝陽が最も苦手とするものだ。
それなのに、写真の向こうから見据えてくるその瞳に魅入られてしまう。鋭い眼光の奥に隠された爽やかな光は、やはりどうしたって隠せない。
深く澄んだ湖の底に、陽光が差し込むかのような輝き。散りばめた宝石に見惚れる乙女の如く、朝陽の心はブルー・カーバンクルの双眸に惹き付けられていた。
温かい溜息をつきながら、次のページをめくる。見開きのページいっぱいに大小六枚の写真が飾られている。
ロケーションは廃ビルだけではないが、そのいずれも受ける印象は同じだった。割れた空き瓶の転がる路地裏、油と煙にまみれた工場、電灯の消えかかった地下室――人の手が作り出しておきながら、どこか荒涼とした雰囲気ばかり。あえて、そんな場所でばかり撮影を行ったようだ。
被写体の格好も、ページをめくる前と大差は無い。襟にトゲの付いたジャケットやら、ヘビの形をしたチョーカーやら、煤の付いたダメージジーンズやら、服装を変えても路線は変わっていない。
それらの場所で、それらのファッションに身を包むラビの表情もやはり同じだった。今にも目の前の相手に殴り掛かろうと威嚇する鋭い目つき。ポーズ一つを取っても、上品とは言い難く素行の悪さが目立つ。
ラビに割り当てられたのは、この三ページだけ。たった三ページのダウナーな写真が、この雑誌の中でどれだけ異彩を放っているか。全てのページに目を通さなくとも、表紙の綺麗に着飾った美少年と比べるだけで理解できる。
それでも、朝陽には見える。一見するとガラが悪く暴力的な写真に収められた二年前の恋人が、現在と変わらぬ心根を宿しているのが分かる。
どこまでも澄み切った瞳が、険しい表情よりも雄弁に物語っていた。
だからであろうか。先ほどから写真の中のラビに、目も心も釘付けになってしまっている。そして、見つめる時間が長くなるごとに左胸の早鐘は音を大きくさせていく。
痣だらけの不良の姿に恐怖を感じて速くなる鼓動を、恋慕の高鳴りと勘違いしているのではない。愛しい恋人の未知の姿に驚きながら、それでも変わらぬ魅力に心を奪われているのだ。
「はぁ……ラビさん……」
これで何度目の溜息だろうか。たったの三ページを繰り返し繰り返し見つめ続け、恋人の姿を隈なく目に焼き付ける。
いつしか朝陽の魂は彼の身体から抜け出して、写真の中へと入り込んでいた。灰色で無機質で冷たい世界に飛び込んでも凍えずに済んでいるのは、すぐ隣に恋人の存在を感じ取れるから。
世界に蔓延る嫌なこと全てから朝陽を守り抜く――力強い眼差しは、そんな決意に満ちていた。心ごと身体ごと彼の背に寄り添えば、確かな安心感が朝陽の胸を満たしてくれる。
頭の中で思い描くラビとの空想。普段なら絶対に出来ないような大胆な言動までもが、自然と浮かんでくる。
熱い……心がときめくほどに胸は熱くなり、ワイシャツのボタンを一つ外す。指先が左胸に僅かに触れて、自分の高鳴りが身体中に響いてくる。
もう一つボタンを外して、ワイシャツの中へと小さな手を滑り込ませる。インナー越しに大きな震動が伝わる。内側から破裂させんばかりに響く心臓の音を静めようと、手の平全体で胸を押さえ付ける。
「ん……っ」
全速力で走った後よりも熱く激しく胸打つ鼓動。このままでは本当に爆発するまで、どこまでも動きを速めていきそうだ。
少しでも落ち着いてくれるようにと、子供をあやすような手つきでさすっていく。それはシャツの繊維との摩擦で、返って熱を帯びさせてしまったようだ。
ならばと手の平を厚みの無い胸へと押し当てて、ゆっくりと円を描いていく。余計な肉も脂肪も付いていないなりにも伝わる柔らかさ。その中で、小さなしこりがあることに気が付く。
「……オレ、どうして……」
それは、まるでラビに触れられている時のように。柔らかく滑らかな朝陽の胸に、小さな硬い突起が顔を出す。
信じられないといった具合に、朝陽は自分の胸をまさぐり続けていく。やがて、否が応でも肉体の変化を認識させられてしまう。
経験上、これは性的な興奮を覚えた時に起こる現象だ。ラビの写真を見て、ラビとの空想に耽って、それで発情してしまったのだろうか。
そう考えると恥ずかしい。それでも手の動きは止められず、脈打つ胸を煽り続ける。自分で自分の身体を弄ることで更なる興奮が込み上げ、手の平で突起を押しつぶすごとに熱い吐息が零れ出す。
「あっ……はぁ……ん」
堪らず上がった声が妙に甘えた感じに聞こえて、耳を塞ぎたいくらいの恥ずかしさに熱が上がる。
背中を丸めて、額を床に押し当てるようにして突っ伏す。ラビのことを考えて興奮してしまい、この場にいないラビを求めるような声を出してしまった。穴があったら入りたいとはこのことか、とばかりに背中を震わせて顔を伏せる。
床に伏せたまま、目線を上げて雑誌を見つめる。覗き込む角度は変わっても、写真の中のラビは変わらず朝陽に鋭い視線を送っていた。
「ん……ラビ、さん」
再び甘えた声を出して、ワイシャツのボタンに手を掛ける。一つ、また一つ、流れ作業のようにボタンを外していき、とうとう一番下まで開けてしまった。
それは、ほとんど無意識の行いだった。興奮して体温が上昇したことに耐えられなかった為か。恥ずかしさのあまり思考は停止してしまい、身体だけが本能に従っていた。
一旦理性が失われれば、そこから先の展開に進むのも早い。ズボンの中にしまっていたインナーシャツの裾を捲り上げて、白い肌を露出させる。
肋骨が浮き出るほどに薄い身体。それが外気に触れたところで、今の興奮が醒める訳も無し。
シャツの中へと手を差し入れて、今度は直接触れてみる。手の平で左胸を包み込めば、皮膚を通り抜けて伝わってくる。灼けるような熱さも、破裂しそうな鼓動も。
まるで心臓を直に鷲掴みにしているような錯覚に陥る。それが一層、朝陽を幻想の世界へと誘っていく。冷静な思考はどこかへと消え去り、肉体的な快楽のみを求めて敏感な箇所を求め続ける。
一ミリずつ指を折り曲げて、高まる熱を指先と手の平の両方でじっくりと味わう。やがて僅かに膨らんだ粒にぶつかり、丸めた背がビクンと跳ねる。そこが、探し求めていた目当ての場所だと分かった。
指先でカリッと引っ掻けば、背筋の方まで電気が一瞬で駆け抜ける。奥歯を噛み締め、つま先までピンと伸ばして刺激に耐える。
胸元に発生した刺激は、全身を巡って下半身の疼きへと発展していく。年齢の割にはまだ未発達な朝陽の性器が、幼いなりにもズボンを押し上げようとする。
熱さの次は窮屈さを感じて、躊躇うことなくズボンを膝まで下ろす。まだ少し苦しい。下着の突っ張った箇所に触れると、内側からヌルっとしたものが滲んでいた。
「はぁ……はぁ……」
下着越しに触れただけで息が荒くなる。頭の中がラビのことで一杯になっている為か、自分で触っているはずなのにまるでラビに触れられているように錯覚してしまう。
あの男らしいゴツゴツとした手が、ザラっとした熱い舌が……朝陽の大事な部分に触れている気がした。
浮かんでくる想像に、下着に付いたシミはどんどんと広がっていく。このまま放っておいたら、後で洗濯が大変になる――そんな冷静な判断からではなく、原始的な欲求から朝陽は下着も下ろしていった。
完全に露出した下腹部。中性的と言うには女性的すぎる顔立ちの朝陽だが、そこに付いているものは一般の男子と変わらない。
ただ、同年代と比べると少し成長が遅いのか。起き上がった状態であっても十センチほどの大きさしかなく、先端もほとんどが皮に埋もれていた。
その幼さの象徴である包皮を、ゆっくりゆっくりと剥いていく。ラビが、いつもそうしてくれるように。優しく丁寧に、痛みが無いように。
そっと首を曲げて覗き込んでみる。まだ一度も本来の役割を経験したことのないピンク色の先端が、ぷっくりと膨らんで透明の蜜をてらてらとさせている。綺麗に剥かれた部分は、細い血管が膨張して真っ赤になっている。
少しだけラビのものに近づいた。朝陽の可愛らしいものより一回りも二回りも大きくて男らしいラビを頭の中に思い描いて、先ほどから甘露を零し続ける先端に触れてみる。
ぴちゃ、という濡れた音と共に先端に走るビリビリとした快楽。ラビに愛撫してもらっている感覚を思い出して、小さな男性の象徴を震えさせる。
粘液で濡れた指先を擦り合わせると、指と指の間を透明の糸が伝う。その粘つきを充血した部分に擦り付けて、更なる快楽を引き出そうと試みる。
ラビの大きなものに奉仕するように、自分自身を慰める。どうすればラビが悦んでくれるかを思い出しながら、小さな自分自身をラビのものに見立てて扱いていく。
「んっ……」
噛み締めた歯の奥から、押し殺した悲鳴のような声が漏れ聞こえる。ラビに触れているという妄想と、実際に自分の陰部を弄っている感覚とが二重の悦を生んでいた。
今ではもう、爆発しそうな心臓よりも下半身の方がよっぽど熱い。指先で摘んだところに限らず、色んな場所が熱くなっている。
本来、男性の性的興奮が最も刺激される箇所は今触れている部分なのだろう。カチカチに勃ち上がった感触からも、それが窺える。
けれども、それ以上に疼く部分が朝陽の身体にはあった。
ラビと恋に落ち、ラビに抱かれる味を知ってしまった朝陽だから。ラビのことを想って情欲を掻き立てられた今だから。
身体の中で一番熱く疼いているのは、今触れている箇所より更に深い場所。そこを直に刺激しなければ、もう満足できない身体になってしまった。
そこに自身の指を挿し入れることで、ラビの大きなものに突いてもらう感覚を再現できるのであれば――それが、朝陽を最も満足させられる行為であった。
小さな果実から手を離し、ちょっと躊躇いながらも指を伸ばしていく。少しだけ開いた脚の間に手を差し入れて、その先にある丸いものに触れてみる。
薄い皮を隔てて指先で転がす二つの丸み。より敏感な部分なだけに、軽い刺激を与えるだけでも先走りが溢れ出す。
このまま弄り続けるだけでも絶頂に辿り着けそうだが、それでは気持ちの方が満足してくれなさそうだ。
この世でただ一人の存在であるラビを想って自分を慰めるのであれば、身体だけの悦びなど何になろう。それは一時だけの満足。すぐに罪悪感と自己嫌悪に上書きされる、些末な楽しみ。
行為が終わった後も、ずっと先まで余韻に浸れるような愉悦が今は欲しい。ラビと二人で愛し合う時のように、気持ちの上でも充実したい。
丸みに触れている指を滑らせて、肩先からねじ込むようにして身体の奥まで手を伸ばす。微かに膨れた蟻の門渡りを、中指と人差し指の二本足が歩いていく。
やがて辿り着く、自身の深奥。二つの丘を割って秘裂へと指を這わそうとするのだが、どうにも上手くいかない。
指先の感覚だけではポイントを探り当てられず、周辺の見当外れなところばかり撫で回してしまう。くすぐったいばかりで肝心の快感が得られず、焦れったさから胸に切ないものが込み上げてくる。
「ん……んっ……この、ままじゃ……」
満足しようにも出来ない。こんな中途半端な状態で終わりたくない。どうにか秘所を探り当てられないかと考えていると、視線が壁に立て掛けられた鏡を捉えた。
自分の裸体を鏡に映し出す――確かにそれなら、見えない部分までよく見えるだろう。けれども、それはナルシシズムの極致とも言える痴態。
普段ならいざ知らず、今の朝陽はそんなことに構っていられなかった。雑誌を手に取ったまま体勢を変えて、四つん這いの状態で壁に足を向ける。
肩越しに首を大きく曲げる姿勢はやや苦しいものの、何とか後方の鏡を覗くことが出来た。
「これが……オレの……？」
鏡に向かって腰を突き出し、盛り上がった部分をつるりと撫でてみる。普段は自分自身でも見る機会の無い臀部だ。自分の身体なのに自分のよく知らない部分とあって、ついまじまじと見てしまう。
ホクロ一つ無い白絹のような二つの膨らみ。真ん中を割いてみれば、そこにはラビ以外には見せたことのない宇宙が顔を覗かせる。
途端に恥ずかしさを覚えて脚を閉じてしまう。ぴったりと閉じた羽二重だけが鏡に映され、今一度注視する。
真っ白でふっくらとした丸みを帯びたそれは、汚れを知らない子供のようでもある。天使の羽毛を思わせる色形は他人が見れば羨むばかりなのだが、朝陽自身はコンプレックスを感じていた。
もっと歳相応に引き締まっていてもいいのにと思う。例えば――と考えて、思い浮かぶのは一人だけ。
（例えば……ラ、ラビさんだったら……）
果たして、如何なる形をしているのだろうか。そっと手元のページを繰って、ラビの裸体が写っていないだろうかと探してみる。生憎と、十五歳のヌードを許すような雑誌ではなかった。
こういう時に、恥ずかしがり屋の自分の性格が恨めしくなる。ラビとは何度もベッドを共にしておきながら、彼の裸を積極的に見つめることは思春期の恥じらいが妨げてきた。僅かに目にした記憶だけでは、脳裏にはっきりとした映像は浮かんでこない。
しかし、例え記憶できるほどラビの裸体を注視していたとしても、あまり意味は無かっただろう。
今、朝陽が頭に思い描きたいのはラビの臀部。その形や大きさが、どうなっているのかという答えだ。
残念ながら、恋人の朝陽でもその答えは出せない。
ラビが裸の朝陽を後ろから抱きしめることはあれど、反対の経験はこれまでに無かった。一度だけ、チラリと盗み見た下着越しのヒップの記憶があるばかりだ。
あのネイビーブルーの薄布の下には、一体どんな肉体が隠されていたのか。きっと程よく引き締まった、男らしい形の良い御居処なのだろうと想像を膨らませる。
ラビの男らしい部分――朝陽に一番欠けている要素であり、それ故に強く求めてしまう。自分もラビのようになりたいとは当然思うが、それだけでなくラビの男らしい一面に触れたいとも思ってしまう。
人格の面でも面倒見がよく、頼り甲斐に溢れているラビ。肉体の面でも大柄で、日頃から鍛え込んでいるラビ。どれを取っても男として完璧で理想的だから、心と身体で直に触れていたかった。
太い腕で抱き締められ、厚い胸板を押し付けられ、逞しい下半身で愛してほしい。心の中で強く訴え、頭の中でラビの姿を思い描く。
現れたラビは四つん這いになっている朝陽に上から覆いかぶさると、凶器のように大きく尖った自分自身を朝陽の秘所へとあてがってきた。
「あっ……ラビさん」
淫らな想像から、自然と名前を呼んでしまう。ラビに秘肉を押し広げられる想像をしながら、実際に自分の手で広げてみる。
鏡に映った深淵への入口は、今すぐラビに挿れてほしいと言わんばかりにヒクヒク動いていた。
山のように硬くそそり立ち、灼けるように熱いラビが欲しい。本人がいない以上、朝陽が自分で処理するしかないのだが、都合のいい道具など持っている訳もない。
代わりと呼ぶには長さも太さもまるで足らないが、これしか無いならと自身の指を見つめる。人差し指と中指をまとめて口に咥え込んで、溢れる唾液で濡らしていく。
この際もラビ自身を咥え、奉仕していることを考えながら。喉の奥まで飲み込んで、音を立てて濡らしていく。
これだけ濡れていれば十分と判断したところで、ぬめった指先を秘部の方まで持っていく。本当は、濡れていようがいまいが早く内側を刺激しなければ治まらなかった。
指を挿し入れる部分がよく見えるようにと、もう片方の手で穴を広げて鏡を見入る。
不浄なところということもあって、初めはかなり抵抗があった。自分で触ることにではなく、恋人に触られることに。
自分のせいで、大切な恋人が汚れてしまうという恐れ。そして、そんなところを触られて反応してしまう自分への羞恥や嫌悪。
感じたくないと自分に言い聞かせようとも、身体は敏感に反応を示す。くすぐったいような、それでいて頭の先にまで電気が流れるような。責められるごとに何も考えられなくなってしまうくらい、人体の中で最も快楽に弱い部分だと思った。
夜を重ね、行為を続けていく内に段々と朝陽も慣れてきた。顔から火が出るくらいの羞恥は未だあれど、絶対に拒もうという気持ちは薄れていった。
内面の方でラビを受け入れる構えが整えば、身体の方も以前に比べて素直に感じ出す。以前よりも深い快楽を覚え、脳内まで蕩けていく感覚を知ってしまった。
心と身体の両方でラビからの行為を受け止められれば、そのことが次第に嬉しくも思えてくる。自分のそんな場所まで愛してくれることが嬉しくて、ラビだけに明け渡すことが出来たことが嬉しくて。
だから、ラビにもっと愛してほしいと願う。ラビが思うまま望むままに、朝陽の秘所を犯してほしいと思う。
日頃から思いやりに満ちた優しい性格のラビは、ベッドの上でも変わることなく朝陽を優しく包み込んでくれた。
そのこと自体に不満は無い。不満は無いのだが、不安になってしまうことがある。
（ラビさん、は……満足できてるの、かな？）
朝陽のことを気にし過ぎるあまり、ラビが朝陽との行為に心から満足しているのか。それだけが心配だった。
力も体格も違い過ぎるから……大切な恋人の身体に無理をさせてはいけないと、ラビは優しく愛してくれる。無理強いをして恋人の心を傷付けてはいけないと、自分の欲望を抑えてまで朝陽に合わせてくれる。
そのせいで、ラビが満足できていないのだとしたら？ 本当はもっと試したいことがあるのに、我慢しているとしたら？
だとしたら、その方が朝陽にとっては辛い。そんな風に気を遣われるくらいであれば、いっそ乱暴に犯してほしい。
別に朝陽にしても、ラビに無理矢理してほしい訳ではない。虐められたい願望がある訳ではないし、痛いことや苦しいことを好む性癖など持っていない。
誰にでも優しく出来るラビが、朝陽は好きだった。内気な自分に対しても分け隔てなく優しく接してくれるラビに恋をしたのだから、ラビの優しさをとても愛しく思っている。
けれども、時には人の心に鋭く突き刺さるのが優しさの危ういところ。
ラビがあまりに優し過ぎる為に、朝陽の心身を労りすぎる為に、それが時に朝陽を悩ませてしまう。
今の朝陽の行為と同じだ。例え身体の絶頂を得られたとしても、心の方が充足を得られなければ何になろう。
それは結局、朝陽がラビのことを満足させてあげられていないということ。ラビが朝陽を満たしてくれるのと同じくらい、朝陽もラビを満たしてあげたいと思っているのに。
せめて空想の中だけでもと、伸ばした指を躊躇わずに内側へと押し込む。十分に濡らしておいた為か、二本の指は大した抵抗も無く襞の中へと飲み込まれていった。
「あっ……！ ラビ、さ……」
指を挿し込むと同時に口から飛び出す名前。随喜の声と一緒に発せられることで、その名前は朝陽の胸と秘裂に鋭く響いていった。
心臓から激しく送り込まれていった血潮が腰まで届いて、指を挿れた部分を熱く蕩けさせる。
まとわり付くぬめりに任せて、指を出し入れしていく。ゆっくりと動かしながら痛みが無いことを確認すると、次第に動きを速めて中を擦っていく。
「あんっ、あぁん！ ……き、気持ち……いい」
ラビにされているという妄想が興奮を暴れさせ、この場にいないラビに聞かれる心配が無いという意識から大胆に声を上げる。
自分の喘ぎ声にまで感じているのか、内部はますます柔らかくほぐれていく。それでいて、飲み込んだ朝陽の指二本を離すまいと吸い付いてくる。
そこだけが自分の意識から切り離された別の生き物であるかのように、中を刺激して快楽を呼び起こす指を咥え込んで離さない。
そう、ラビに抱かれラビ自身を咥えている時のように。
「あぁんっ……ラビ、さん……そ、そこぉ……そこ、気持ちいい……です！」
疑似的なラビを使って、自身の感じる部分を擦り続ける。いつもは恥ずかしさのあまりラビに求めることも出来ないでいるが、朝陽にだって好きなポイントぐらいある。
朝陽の反応を見ながら、ラビがそのポイントを見つけて突いてくれるのが好きだった。気持ちも身体も通じ合っている喜びが全身を貫いていくのを感じた。
自分の良い場所ばかりを責めて、その間もラビの名前を叫び続ける。想像の中の恋人は、何も言わずとも朝陽が一番感じる箇所を一番気持ちよくなる強さで刺激し続けてくれる。
「……んっ……ふっ……ラビ、さん……ラビさん……っ」
止まらなくなった手つきで熱くぬめった襞を擦っていくと、全身から段々力が抜けていく。突き出した腰を除いて床につんのめり、荒くなった息の合間にラビの名前を呼び続ける。
出し入れする秘部は摩擦のせいで真っ赤に染まり、全身へ向けて淫靡な快感を走らせていく。すぐ近くにある朝陽自身など、もう破裂寸前のように膨らんでいる。先ほどからビクビクと震えて、トロトロの液を振りまいている。
空いている方の手で自分自身を掴んで、激しく扱き出す。ラビに後ろから突かれるのと同時に前まで可愛がられて……そんな妄想に、朝陽の頭も下半身も絶頂へと突き進む。
「あぁ、っ……んっ……ラビさん、オレ……イ、イキます……ラビさんで、イッちゃいま――」
飛び散った先走りで、ぬるぬるになった自分自身を慰める。手で弄っているはずなのに口でしてもらっている感覚にも似た刺激に、朝陽は絶頂が近いことを感じていた。
全ての神経を下腹部に集中させる。堰き止められていた欲望を洪水させるのに、もう何の躊躇いも無い。
だが、このまま限界に達しては部屋を汚してしまう。大事な雑誌にまで付着してしまっては大変だと、染み込ませる為のティッシュ箱を探し出す。
手の動きは休めず、急いで部屋を見渡していると、意図せぬ光景が目に映った。
「…………？」
まだ半分ほどボーっとしている為か、朝陽は自分の目に何が映っているのかはっきりと認識できていない。変わらぬ手つきで腰に触れたまま、ジッと視線の先を窺う。
それは、人の足のように思えた。白い靴下がブルージーンズの裾からはみ出している。足の大きさからして、随分と大柄のようだ。
けど、どうして部屋の中に？ よく見れば部屋のドアは半開きになっており、その隙間から例の足が覗いている。廊下から部屋の中を窺う者の正体を見極めんと、ゆっくりと視線を上げていく。
「…………」
いつしか手の動きも止まり、固唾を飲んで廊下に立つ人物を探っていた。足から腰、腰から胸へと視線を移していく内、徐々に徐々に悪い予感が浮かんでくる。それは、とても見慣れた人の体型に似ていたからだ。
とうとう、朝陽の両目が相手の顔を捉える。気まずそうに顔を赤らめ、ドアノブに手を掛けたまま固まっているのは、先ほどまで朝陽が名前を呼び続けていた相手だった。
「…………ラ」
咄嗟に口をついて出ようとした名前が、痺れるように震える舌に阻まれて出てこない。
そこにいたのは紛れもなく、ラビ本人だった。
「ラ……あ、ビ……」
過呼吸にでもなったかのように、名前はおろか言葉一つ上手く発音できない。ラビの顔が揺らいで見えるほど、朝陽の頭脳は混乱を極めた。
誰にも見られていないと思っていたから、あんなにも行為に没頭していたのだ。大声を上げるほど行為に集中していたから、誰かに見られている気配にも気づけなかったのだ。
いつから見られていたのだろうか。少なくとも今、露わになっている下半身だけはばっちりと見せつけてしまっている。
誰に見られても立ち直れそうにない最もプライベートな時間を、よりによってラビに見聞きされていたとは。
ガクガクと震えながら、急いでラビの目から逃れようとする。あれほど熱を持っていた身体は一気に冷え込み、顔中が青ざめて気が動転していた。
咄嗟に雑誌をベッドの下へと隠す。下着とズボンを上げようと必死になるが、脚はもつれて手つきは震えてままならない。
情けない声を上げながら、床に倒れてジタバタと転げ回る。焦るあまり視界はぐらぐらと揺れて、頭の中は行為に夢中になっていた時の何倍も冷静さを失っていた。
そこへ、腰を何か柔らかい物で覆われる感覚があった。露出した朝陽の下半身を隠そうと、ラビが部屋にあったタオルケットを被せてくれたのだ。
口を開けたままラビを見上げる朝陽。ラビはというと、未だ頬を染めながら意図的に朝陽から目を逸らしている。
「朝陽、その……ドアは、ちゃんと……閉めようね？」
その言葉に、またしても血の気が引く。雑誌を抱えて部屋に戻った時、てっきりドアを閉めたつもりでいた。やっと雑誌が手に入ったと浮かれるあまり、そんな初歩的な注意まで疎かにしてしまっていたのか。
自分の痴態を誰に見られようと、これは完全に自分の落ち度。誰を責めることも出来ず、湧き上がる自己嫌悪の波が朝陽の感情を激しく揺さぶる。
「う……うぅ……ラ……ラ、ラビさぁぁぁああああ……ん」
「うわぁっ！ ご、ごめんね！ 朝陽……ごめん！」
突然泣き出す朝陽。自分が朝陽の秘め事を勝手に覗いてしまったせいかと、ラビが慌てて慰めようとする。
「の、覗くつもりじゃなかったんだ……ドアが半開きで、部屋の中から朝陽の苦しそうな声が聞こえてきたから、何かあったんじゃないかって…………ごめん、言い訳だよね」
自分を責めてまで謝ってくれるラビの優しさが、今の朝陽にはとても痛かった。
ラビは朝陽のことを心配して様子を窺っていたのに、自分は行為に耽って楽しんでいたなんて……罪悪感から込み上げてくる涙を、タオルケットに顔をうずめて拭い出す。
俯いて顔を逸らす朝陽を見て、拒絶のジェスチャーだとラビは早合点した。当然のことだが、朝陽は自分のことを怒っているのだと思い込んだ。
「た、立ち聞きなんかしないで、ドアを閉めて立ち去るべきかとも思ったんだけど……他の奴らに、朝陽のあんな声を聞かれたくなかったし……ああ、もう！ これも言い訳だ！ 男らしくないぞ、オレ……」
苛立ちで声を荒げて自らの膝を叩く。その音に、朝陽の背がビクッと震えた。
朝陽に嫌な思いをさせて、その上怖がらせてどうする。自戒の溜息をついて、朝陽の肩に優しく手を置くラビ。
何も怯える必要は無いんだと教える温もりが、ラビの大きな手の平から朝陽の心にまで伝わっていく。
同時に言い訳なんかせず、正直な気持ちを述べようとラビが口を開く。
「……はっきり言うよ。オレ、も……興奮してた。あの大人しい朝陽が、部屋であんなことシてるって思うと……欲情しちゃって、目が離せなかった」
その物言いに、ラビも朝陽も顔中が熱くなっていった。二人とも頭の中で、朝陽の乱れる姿を描いて顔を赤らめていた。
それを見られまいと、ますます顔をうずめる朝陽にラビは告白を続けていく。
「だって……仕方ないだろう？ 恋人が、オレの名前を呼びながら一人でシてるなんて……そんなの、嬉しいじゃないか」
泣きそうなくらいに顔を歪め、それでも目尻や口元はニヤけるのを堪えている。
引っ込み思案で、性に関しても消極的な朝陽だが、人並みに自身を慰めることを知っている。そして、そのお供に自分との行為を想像してくれていたとは。
まだ夜には早いというのに、もう自分を求めてくれていたのか。ほんの少し離れている間も、自分とくっ付きたいと思ってくれていたのか。
こんなにも恋人に想われているのだという確信が持てて、ラビは心底嬉しかった。
そして、その喜びはラビの胸にも欲情を抱かせる。単に恋人の乱れた姿に下半身が反応しただけに留まらず、この胸の喜びを肉体で分かち合いたいと願っていた。
「ねぇ……途中で止めちゃったら、朝陽だって辛いだろう？ ココ……切なくないか？」
タオルケットの上から、朝陽の腰元にそっと手を添える。思わず身体を震えさせた朝陽だったが、ラビの言う通りだった。
布越しにラビに触れられて、腰の奥の方からキュンと何かが高まっていく。その感覚に、縮こまっていたはずの朝陽自身が再び起き上がりつつあった。
「お詫び……って言うのは傲慢だけど、オレに手伝わせてくれないかな？」
声を掠らせて耳元で囁かれると、朝陽には断ることなど出来なくなる。そんな心境を察したのか、ラビが全身で包み込むように朝陽の腰を抱き、じわりじわりと距離を詰める。
朝陽から拒まれなければ、それはオーケーのサイン。もう少しで完全に朝陽を抱き締められるといったところで、小さな身体が突然後ろへと飛び退いた。
唖然とするラビをよそに、彼から身を離した朝陽はずり落ちたタオルケットを引っ張って顔を覆ってしまう。
恥ずかしさの為だけではない。朝陽の態度から、まだ怒っているのだろうかとラビが眉根を下げる。
「……オレに触られるのは、イヤなの？ さっきまで、あんなにオレの名前を呼んでくれてたのに」
悪いのは自分なのだから、仲直りの歩み寄りも自分からしたい。朝陽だって、何もラビのことを嫌いになった訳ではあるまい。
そんな浅い関係でないことは、ラビが一番よく分かっている。照れ屋で消極的な朝陽だから、上手く応じることが出来ないでいるだけだ。
朝陽の気持ちをなだめる為に、なるべく優しい声を心掛ける。その上で、決して急かすことなく二人での行為へと誘っていく。
「あんなに可愛い姿を見せられたんじゃ、オレだって我慢できない……オレの為にも、朝陽の為にも……二人で気持ちよくならないか？」
タオルケットからはみ出た足を撫でながら、優しく優しく声を掛け続ける。手の平に伝わる足の強張りが、次第に和らいでいくのが分かる。
それなのに、朝陽はラビに許していた足の先まで引っ込めてしまう。タオルケットの向こうから、涙をすする音だけが聞こえる。
どうすれば硬い殻を脱いでくれるのだろうか……困惑した様子でラビが窺っていると、顔まで引き寄せたタオルケットから少しだけ瞳を覗かせてきた。
「イヤ、じゃ……ないです」
か細い声で訴えてくる、朝陽なりの必死な想い。髪の毛の隙間から見える耳を真っ赤にして、キュッと握る指先を真っ白にして、ラビへの想いを口にする。
「イヤじゃ、ないから……ラ、ラビさんだと……オレの身体、感じ過ぎちゃうんですっ」
たったそれだけの告白が、朝陽にとってはどれだけの勇気が伴うことであったろう。肩も睫毛も指先も、全てを震えさせながら言葉を繋いでいく。
ラビの手から逃れようとしたのは、決してラビを怒ってのことではない。そんな資格など自分には無いと考えている。
ただ、敏感な箇所を弄っていたせいで妙に感度がよくなってしまっている今、ラビに触れられるのが怖かった。ただでさえ大好きなラビの手は、朝陽に喜びと興奮を与えてくれるのだから。
「自分で触っている時より、ずっと……ずっと、ラビさんの手の方が気持ち、よすぎて……っ」
そんなことを告げるのも恥ずかしくて、自ずと声が震え出す。けど、黙ったままではラビが自身を責め続けるから……悪いのは、ラビの方だと考えてしまうから……。
大好きな恋人の心を慰める為に、小さな勇気を振り絞る。恋人が自分を想って、いつでも支えてくれるように。
「……大丈夫。優しくしてあげるから」
朝陽の気持ちは伝わった。こんなにも思いやりに満ちた人が恋人で幸せだと、自然と優しい笑みが浮かび出す。
朝陽の想いを理解した上で、それでも朝陽との行為を求めるラビ。互いを思いやる気持ちはどちらも等しく、それを昇華させる術も知っている。
今度こそ朝陽の身体を包み込み、背中をふわりと引き寄せる。言葉の通り、逞しいラビの腕に込められた力はガラス細工を扱うように繊細で優しい。
その優しさが朝陽の胸を締め付けているのだと、初めて本人に打ち明ける。
「ううん……優しくなくて、いいです。だって……だって、オレ……ラビさんに、謝らなくっちゃ……いけないんです」
真に責められるべきは自分なのだと、朝陽がたどたどしく訴える。
舌足らずな口調から、朝陽には何か思うところがあるらしい。何かを察したものの肝心の内容に見当がつかなくて、ラビの方が言葉を失ってしまった。
大きく鼻をすすって、ゆっくりとタオルケットを下げていく。消沈し切った面持ちで朝陽がベッドの下から取り出したのは、廃ビルに佇む不良を撮った写真。二年前のラビの姿が収められた雑誌だ。
「こ、これ……」
一瞬、爆発したかのようにラビの心臓が飛び跳ねる。
誰にも知られたくない過去がある。現在のラビとは、あまりにかけ離れた過去の汚点。特に心優しい恋人に対しては、未来永劫ひた隠しにしなければと決めていた。
青い瞳を見開いて、昔の自分の姿を見つめる。写真の向こうから睨み付けてくる視線に怯え、祖国ロシアの風に吹かれるよりも底冷えする。
（オレは……こんなにも突っ張っていたのか）
その視線の鋭さに恐怖したのではない。一人で突っ張って世の中に歯向かう、反抗的な子供の姿――それを朝陽に見られたことに全身を粟立たせていた。
「これは……あぁ、そうか……確か『ＴＥＥＮ』とかいう雑誌の……」
いくらか安堵したような声色で呟く。二年前、撮影の演出などではなく本当に非行に走っていた姿をカメラに収められていたのかと冷や冷やした。
もしも、あの頃の自分を朝陽に見られたら――。
（それでも、朝陽は変わらずオレを愛してくれるのか……いや、愛してくれるに決まってるよな）
何も怯える必要は無い。過去は過去、今は今。今の自分が朝陽を愛し、そして愛してくれている。その確信があれば十分だった。
だからこそ、ラビも朝陽のどんなことだって広い心で赦し、そして包み込むように愛することが出来る。
イタズラが見つかって叱られている子供のように悄気ている朝陽。その耳にかかった髪の毛をラビが掬ってやると、くすぐったそうに俯き出した。
ラビの優しさから逃れようとすれば、琥珀色の瞳にますます吸い込まれる雑誌の一ページ。写真の中のラビに触れながら、ぽつぽつと白状し出す。
「ノアさんに……お、お願いして、貰ってきてもらったんです……昔のラビさん……オレが知らないラビさんを、もっと知りたくて……ただ、それだけだったのに」
申し訳なさそうに話す朝陽の一言一言に、ラビも静かに耳を傾ける。それのどこがいけないことなのかと、心の中で宥めながら。
「オレ……ラビさんのこと、考えてたら……自分でも、抑えることが出来……出来なく、なっちゃって……ラビさんの名前、呼びながら……頭の中で、ラビさんのこと勝手に想像しながら…………シちゃって……ました」
想像の中のラビは、果たしてどんな姿で朝陽の前に現れたのだろう。
どれだけ乱れた格好で迫り、どれだけやらしい言葉で責め、どれだけ淫らな行為で辱めたのだろう。
純粋に愛情を注いでくれる恋人のことを、一方的に変な妄想で染めてしまった。それがラビに対する朝陽の負い目。
「オレ、悪い子です……だから、優しくしないで……」
その言葉が、今度はラビの心を締め付ける。
かつては雑誌に写る目つきよりも鋭く他人を睨み付け、握った拳で凄惨な光景を生み出していた過去がある。
ラビ自身、遠い昔のことだと思っていた。そう思うようにしていた。
今の自分は、過去の過ちを振り切って新しく生まれ変わった。突っ張っていた時期と決別して、本当のラビになれたのだ。
他人を思いやり、弱者を労り、頼ってくれる者を守れる男に。
だからこそ、その優しさを否定されることが一番辛い。特に、この世の誰よりも優しくしてやりたい相手の口から聞かされるのが。
「朝陽……」
何故、朝陽がそんなことを言い出したのか――ラビにも分かっていた。ラビが優し過ぎる為に、朝陽の胸に不安を宿らせてしまっていることに気が付いていた。
朝陽がラビに何を求め、何を欲していないのか。言葉少ないながらも、朝陽の気持ちは触れ合う肌を通して伝わってくる。
優しい人になりたい――そんな願いを抱いて仲間や恋人に接してきたラビだったが、それもまた独りよがりの願望だったのだろうか。
ラビの欲望を抑え込むことなく、力任せに犯してほしい――そんな気持ちを朝陽に抱かせる為に、ラビは優しい男を演じてきた訳ではない。
朝陽の気持ちはよく分かる。ラビに何を求め、何を欲しているのかは分かっている。
同時に、ラビが朝陽に与えたいものもある。
愛情の譲歩――朝陽から求められているものの中で、ラビが与えても苦しくないものは何か。ラビが朝陽に明け渡したいもので、朝陽の胸を悩ませずに済むものは何なのか。
朝陽の頬を撫でながら、二人にとって一番の正解を出していく。
「オレはね、朝陽……朝陽がオレで満足してくれるのを見るのが一番幸せなんだ。だから、朝陽が気持ちよくなってくれれば、それだけでオレは満たされているんだよ」
澄み渡るような愛の囁き。それが朝陽の心に浸透していく。雲間から射し込む光のように、朝陽の心を晴れやかにしていく。
ラビの言葉は、朝陽に気を遣って無理に言ってくれているのではない。紛う方なき真実なのだと朝陽にも分かった。
二人の間にあるのは神聖な恋慕と純粋な愛情。何も遠慮する必要の無い間柄なのだから、ラビが本心で言っているのだという確信があった。
その想いに応えて、朝陽も顔を上げる。まっすぐに見返した恋人の顔は、満面の優しさを湛えながら少しだけ頬を染めていた。
朝陽がよく知っているラビの顔。朝陽が恋する表情。鏡に映したように、朝陽も顔を赤らめながらはにかむ。
「はい……オレも……ラビさんが、オレで満足してくれるのが、嬉しくて……幸せ、です」
開いたままの雑誌を丁寧に閉じて、再びベッドの下へとしまい込む。
写真を通してしか見れない過去のラビよりも、直に触れ合える今のラビの方を愛したい。
朝陽の方からもラビの広い背中に手を回して、高鳴る心臓の音を重ね合わせる。
二人で繋いだ心と心、身体と身体。恋する温かさを分け合って、二人で一緒に未来を築いていこうと誓い合う。
二人同時に閉じた瞳には、幸せに満ちた姿が見えていた。
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