最後の電車が走り去っていく。
　穏やかな風に吹かれながら、ラビと朝陽が遠ざかっていく電車の灯りを見送ったところだ。
　二人、寄り添い合って――。

　この日はＩ♥Ｂの野外ライブがあった日だ。
　満天の星の下、夜にもかかわらず集まってくれた大勢のファンの前で大成功を収めた日だった。
　ライブの後、メンバーだけで軽い打ち上げを済ませると、まだ電車が動いている内に帰路についた。
　各自の楽器は事務所の手配で自宅まで届けてくれるから身軽だし、五人ともライブ後の興奮が醒めていなかった。
　先頭ではしゃぎながら駅を目指すレオン。そんなレオンをたしなめるリュカも、珍しく口元を緩ませてレオンの後をついていく。
　二人から少しだけ距離を置いていたノアが、ふいに後ろを振り返る。
　最後尾を並んで歩いていたラビと朝陽に微笑んでみせると、「明日はオフだから、ゆっくり帰っておいで」と言ってくれた。
　リーダーの心遣いに頬を染めつつも、二人ともノアの厚意に甘えることにした。
　せっかく訪れた機会。二人きりの夜を過ごしたくて。
　朝陽も今日ばかりは「みんなを心配させちゃいけないから」などとは言わず、そっと時計を外してバッグの中へと隠してしまう。
　気が付かないふりをしながらも、そんな朝陽のさりげない仕草がラビも嬉しかった。
　二人だけで過ごす時間を、朝陽も大事にしてくれているのだと分かったから。
　そうして他のメンバーと別れて夜の街に残り、最終電車が行くのを見届けたところだった。

「……寒くないか？」

「大丈夫……です。ラビさんが、側にいてくれますから」

　春とはいえ、深夜になると少し肌寒い。
　その寒さを感じずにいられたのは、お互いの体温を分け合っていたから。
　そのくらい、二人の距離を近づけていたから。
　歌い疲れた体を休めるようにして並んで座り込み、チラリチラリと隣を窺う。
　視線の端で目が合うたびに、ラビは胸の内側を温かくさせていた。
　控え目ながらも、自分を盗み見ては微笑む朝陽の仕種が愛おしくて。

（……可愛いな、朝陽）

　口に出したら、相手が照れてしまって二度としてくれなくなるかもしれない。
　だから、心の中だけで呟く。
　気づいていただろうか。朝陽と全く同じ仕種を、自分もしていたことを。
　朝陽もまた、ラビに対して全く同じことを思っていたことを。

（ラビさん……かわいい、です）

　そんな相手の顔をもっと側で見たいと思ってしまう。
　夜のとばりに紛れて、互いに距離を縮めていく。いつもは消極的な朝陽も、せっかくの夜に気持ちが浮かれているのか、甘えるようにしてラビにすり寄る。
　朝陽の細い肩へと手を伸ばしたところで、ラビはふっと自分の過去を思い出す。
　今よりも少し子供だったころ。故郷ロシアで、喧嘩に明け暮れていた日々のことを。
　朝陽へと差し伸べた大きな手――以前の自分は、その手を握り締めて拳という名の凶器にしていた。
　暗く冷たい街角で誰かを殴っては、その拳を痛め続けてきた。
　今、開いた手の平の中にはハッキリと温もりを感じられる。
　争う意味も必要もない路地裏で自分の力を誇示してみせては、誰かに追われているのではないかと風が泣く声にも怯えて足を速めた日々。
　人を傷つけることしか知らなかった自分の手が、本当は何のためにこの世に存在しているのか。
　それを教えてくれた愛しい人の肩を抱き寄せ、余った方の手を互いに繋ぎ合う。

（……温かい）

　手の平から直に伝わる温もりに、ラビは心まで温かくなるほどの感動を味わっていた。
　それは、故郷を離れることで初めて知った真実。
　人の体が、こんなにも温かなものだったとは。人に触れるということが、こんなにも優しい気持ちにさせてくれるとは。
　朝陽と出会い、恋するまでは知らずにいた。故郷の寒空の下で誰かと争い続けていたら、一生気づかずにいたかもしれない。
　強さだけが自分の証だと信じていた子供のまま。握った拳は、他人を打ち負かすためにあるのだと信じ続けたまま。
　誰かを愛するまでは――。
　心の底から愛し合える人と、出会えるまでは――。

「……出会えたよ」

「え……？」

「オレ……朝陽に出会うことが出来たよ。この広い世界で、たった一人の……オレだけの愛しい人に」

　愛情が込められたラビの言葉。
　朝陽がうっすらと微笑む気配が、深夜の闇の中からも窺えた。
　ゆっくりと「はい」と返事をする朝陽もまた、同じ想いを抱いていた。

「オレも……出会えました。臆病なオレに、人と触れ合える勇気を与えてくれる人……。大好きな人と触れ合える喜びを教えてくれた……オレだけのラビさんに」

　二人の距離が、一段と縮められる。
　街の灯りが一つ消えていくごとに、二人の間で口づけが交わされる。
　始発電車が動き出すまで、互いの心音を残して音の消えた街の片隅で。

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