「んんっ……！」
「ゴ、ゴメン！　……痛かったか？」

　短く呻いた朝陽の細い身体を離して、ラビが心配そうな眼差しで見下ろす。
　同じベッドの中で仰向けになる朝陽の裸体が目に映った。

「…………です」

　ラビに気を遣わせまいと、とっさに「大丈夫です」と返す朝陽。くぐもった声は、ほとんどラビには聞き取れなかった。
　それでも朝陽の気持ちは分かるもので、自分に向けられた思いやりに対してラビも笑顔で返す。

「……なるべく痛くしないようにするからな。朝陽も、痛かったり苦しかったりしたら無理せず言うんだよ？」
「は、はい……」

　ラビに促されるまま、朝陽が小声で返事をする。「違うんです」という言葉を飲み込んで。
　朝陽が身を強張らせて呻き声まで上げてしまったのは、痛かったり苦しかったりしたからではない。
　付き合い始めて、まだ日が浅い二人。
　元来の恥ずかしがり屋の性格に加えて、慣れない夜のスキンシップに朝陽は自然と身を竦ませていたのだ。
　ラビに触れられるのが嫌だからではない。むしろ嬉しいとさえ感じている。そして、そんな風に感じる自分を恥ずかしいと思ってしまう。
　ラビのことを意識しすぎてしまうために、ラビが少しでも体に触れてくるたびにビクッと反応してしまう。
　そのたびにラビは、行為を中断して朝陽の様子を窺った。

（……やっぱり怖い、か……）

　震える朝陽の身体を見下ろしながら、気持ちを察してみる。
　日頃から怯えがちな朝陽が、普段は服で見えない部分をさらして触れ合う行為を怖がっていたとしても無理もない。
　ラビには、よく分かっていた。初めての経験に緊張しているのは、何も朝陽だけではない。ラビにとっても初めての触れ合いだから、朝陽の気持ちがよく分かった。
　お互いにとって初めての夜だから、大事にしたいとラビも思う。
　痛い思いをさせたくないが、それ以上に怖がらせたくない。
　まずは緊張をほぐしてやろうと、朝陽の気が紛れるような話題を振る。

「朝陽は、マリンカみたいだな」

　体を浮かしたまま、なるべく普段の口調を心掛ける。
　突然話を振られた上、聞き慣れない言葉に朝陽が目をパチパチさせる。

「マリンカ……？　って、何ですか？」

　ラビが狙った効果はすぐに現れ、今の状況を忘れた朝陽がいつもの調子で尋ねてくる。
　まるで世間話でもするかのように、ラビがゆっくりと説明をする。

「ロシアにはね、マリンカっていう花があるんだよ。白くて小さな可愛らしい花を咲かせた後は、甘酸っぱい野イチゴの実を付けるんだ」

　そんなマリンカの花に例えた朝陽が、自分の体のすぐ下にいる。
　雪化粧をしたかのような真っ白な肌を、チラリと盗み見る。その白い肌の中で、野イチゴのように赤く彩られた箇所へと視線を落としながら、「待て待て」と自制する。
　当の朝陽は、そんなラビの葛藤にはまるで気が付いていない様子。ラビとの会話に注意を向けられて、無防備になっているところを襲うのはラビも趣味ではない。
　今一度、朝陽のことを評した花の姿を思い描いでみる。

「……うん、やっぱり朝陽はマリンカにそっくりだ」

　愛らしい見た目とは裏腹に、荒野にでも力強く咲いて、春の訪れを教えてくれる。祖国の見慣れた花が、異国で出会った少年の姿と重なった。
　どんな困難にだって音を上げることなく頑張れる朝陽だから、こんなにも心を惹かれたのだ。
　朝陽と一緒に過ごせる時間が、どれだけ自分の心を温かくしてくれたか。それほどに大切に想っている相手だから、やはり無理強いなどしたくない。甘く優しい愛こそ、与えたい。
　そんなラビの密かな想いに気づいていない朝陽は、ラビを見上げたまま小首を傾げた。

「マリンカ……何だか、可愛い名前ですね？」
「ふふっ……だから、朝陽にピッタリなんだよ」

　悪意の無いラビの微笑みに、朝陽も思わず頬を染めてしまう。自分のことを「可愛い」と言われたように聞こえて。
　実際にラビは、そんな気持ちを込めて朝陽を見つめていた。
　愛らしい小さな野イチゴの花――ロシアでは「可愛い女の子」に呼び掛ける時にもマリンカという言葉を使う。

（……なんて言ったら、怒るかな？）

　それでも呼びたい気持ちは抑えられない。胸の中に溜め続けてきた朝陽への想いは、どれだけ口にしても足りないくらいだった。

「ほら、こんなに真っ白で綺麗な肌なんて、ロシア人でも羨ましがるよ。もっと、じっくり見せてほしいな……可愛い人(マリンカ)」

　優しいだけだった笑みに幾らか妖しい雰囲気をまとわせて、ラビが朝陽の肌へと顔を寄せる。
　熱い吐息を感じて、朝陽の身体が再びピクンと反応する。
　今度は、緊張のためだけではない。ラビから可愛いだの綺麗だのと褒められたことによる気恥ずかしさのせいもあった。
　自分では、まるっきりそんなことないと考えている朝陽には、ラビが自分を恥ずかしがらせようとしているようにも思えた。
　それは、普段の優しく頼りがいのあるラビからは、あまり想像できないイタズラ心だ。朝陽も思わず裏返った声でラビに呼びかける。

「あ、あのっ……ラ、ラビさん……」
「ん……？　どうした？」

　優しく尋ねられると、面と向かって言うことに気後れしてしまう。
　込み上げてくる恥ずかしさを何とか伝えようと、緯線を逸らしつつ小声で訴えていく。

「きょ、今日のラビさん……少し、イジワル……です」

　頬を赤くしながら、少しだけ拗ねた口調で抗議する。
　それでも、本心から嫌がっているのとは違った。
　ラビが自分に触れてくれないよりは、イジワルをされるぐらいの方が嬉しい。
　そんな朝陽の思い全部に気付かないまでも、朝陽がイジワルな自分を本気で拒んでいるわけではないとラビも勘付いた。
　ならいっそ、悪い男を演じてみせようか。

「ふぅん……朝陽が考えてるオレはどんなか知らないけど、オレって昔から手が早いんだよね。そんなオレが、朝陽のことだけは散々ガマンしてきたんだ。もう、これ以上は……ガマンできないな」

　そう言うと、ラビは再び朝陽の体に覆いかぶさっていく。
　ラビのことを受け入れたいと思いながらも、反射的に体を緊張させてしまう朝陽。ラビの台詞からも、力づくで行為に及ぶと思われた。
　けれど、頬を撫でてくる感触は思いのほか優しく、朝陽も拍子抜けした風にしてラビを見上げる。
　穏やかなブルーの瞳は朝陽への気遣いで溢れ、肩先や胸元へと移動していく長い指もまた柔らかな愛撫を心掛けている。

「朝陽の肌……スベスベで気持ちいいな。まるで、オレに触ってほしいって言ってるみたいだよ？」
「んっ……そんな、こと……」

　恥ずかしさから否定の言葉を上げようとした朝陽であったが、胸の内ではラビの思いやりを感じ取ってもいた。
　ラビの口から出てくる言葉は挑発的でイジワルなのに、朝陽の肢体に這わせていく指使いは慎重そのものだ。
　普段は荒々しくドラムを叩いていることも忘れて、小さな花弁のように繊細な体と心を壊してしまわないよう、どこまでも優しく触れていく。
　行為が終わった後も、変わらぬ姿が見たいから。
　雪のように白い肌。愛らしい微笑。甘酸っぱい唇。
　マリンカの妖精が姿を現してくれたかのような朝陽の姿を、いつまでも見続けていたいから。
　そんなラビの優しさを実感すれば、朝陽も自分の緊張や恥ずかしさを少しは脇へと置ける。
　大地に根を張って風に吹かれるマリンカのごとく、ラビに身を委ねる朝陽。その姿を見守る瞳が、満足げに細められた。

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