「ふぅ……」と小さな溜息ひとつ。朝陽がロケバスへと戻ってきた。
　この日の仕事は、アイキッズと一緒に屋外での撮影。
　元気盛りの小学生たちが集まれば、空いた時間は遊び相手に追われてしまう。
　小さい子の相手は慣れている朝陽であったが、仕事を終えた後では体力が持たない。バスの中で少し休憩することにした。
　静かなバスの中は無人と思われたが、すぐに視界に入る一つの人影。

（ラビさん……）

　先に休んでいたラビが、座席に深く体を預けている。瞳は閉じられ、朝陽の気配にも気が付いていない様子。
　ここ数日はラビ単独での仕事が続いていた。そのせいもあってか、だいぶ疲れが溜まっていたようだ。窓際の席で頬杖をついて目を瞑り、静かな寝息を立てている。
　邪魔しちゃいけないと思いつつ、朝陽も自然とラビへと近づいていき、隣の席に腰かける。
　そっと窺ってみるラビの寝顔。滅多に人には見せない無防備な横顔は、彼本来の魅力を湛えているようにも見えた。
　普段の面倒見の良い顔は鳴りを潜め、歳相応のあどけなさを整った顔立ちの中に浮かばせていた。

（……いつもはオレ、ラビさんとも上手く目を合わせられないから……こんなに近くで、じっくり見たことなかったけど……）

　人の寝顔を盗み見るという行為に対してか、それとも相手が大好きなラビだからか。朝陽の小さな胸は、内側から激しく打ち鳴らされていく。
　瞳に映る愛しい人の姿に恋心が刺激され、溜息をつきたくなるような感嘆が浮かび出す。

（ラビさん……すごく、美人……です）

　しばらくポーッと見入ってしまったラビの寝顔。ふと朝陽が我に返っても、ラビは姿勢を変えることなく寝入っている。
　よほど疲労が重なっているのか。長い睫毛は重なったまま、動く気配を見せない。
　このまま、しばらく眠っているのであれば……バスの中に誰も来ないのであれば……自分の膝へと視線を落としながら、朝陽が口を開く。

「ラビさん……あの……あの……絶対に叶わないワガママ、言ってもいいですか？」

　消え入りそうな朝陽の呟きでは、ラビの深い眠りを妨げることは出来ない。
　返事の代わりに聞こえてきた微かな寝息を胸に響かせて、朝陽がポツリポツリと告白していく。

「オレ……ラビさんとの間に、こど……子供が欲しい、です……」

　口に出して言ってみると、途端に頬が熱くなっていくのが自分でも分かる。
　当のラビは眠っていて、朝陽の声は聞こえていない。独り言と同じはずなのに、耳に入ってきた自分の言葉に胸がドキドキと高鳴っていく。
　子供が欲しい――その過程でいかなる行為や出来事が必要になってくるか。朝陽にだって分かっている。分かっているからこそ、心臓は動きを速めて顔を赤くさせていく。

「今日……アイキッズと一緒に遊んでいて、思ったんです。好きな人と結ばれて、その人との間に子供が出来たら、きっと……きっと毎日が楽しいんだろうなって」

　言いながら頭の中を巡っていく、いくつもの場面。時に笑い、時には泣きながら成長を遂げていく子供の姿。
　それを見守る自分。その隣には、大好きな人の姿。
　浮かんでくる空想に唇は緩んでいく。幸せな光景が実際に見えているかのように、目は細められていく。
　そして引き戻される、現実――。

「ごめんなさい……。ムリだって、分かってる。言ったところでラビさんを困らせるだけだって、オレにも分かってます。それでも……伝えたかったんです。オレの……ささやかな願い」

　瞳を閉じて、うなだれる。二人の間にある悲しい運命を実感して、朝陽は深く溜息をついた。

「ごめんね、ラビさん……。オレ……男に生まれて、ごめんなさい」

　涙が混じった溜息が、膝の上へと零れ落ちる。
　ささやかな願いさえ叶えられない恋をした。当たり前の幸福さえ得られない想いを抱いてしまった。
　それでも求めてしまうのは、ラビを心底愛するがゆえ。その愛ゆえにラビを苦しめている自分が許せずに、朝陽は自分の膝を濡らし続けた。

「――そんなことないよ」

　突然、隣から声がした。眠っているものだとばかり思っていた。本当に聞かせるつもりなどなかった告白を聞かれてしまい、朝陽の体がビクンと跳ねる。
　その小さな肩が恐怖で震えてしまわないよう、ラビの大きな手が添えられる。
　いつから起きていたのだろうか。どこから聞いていたのだろうか。朝陽を優しく包み込む温もりからは、彼の想いを受け止め理解する心が感じられた。

「オレは朝陽が女の子なら良かったなんて、そんなこと考えたことない。オレだって、朝陽との間に子供が欲しいって思う。オレと朝陽が愛し合った証が欲しいと思う。けど、その証は何も形として表せるものが全てじゃないだろう？」

　静かに、穏やかに、少しだけ寂しそうな響きを含んだ声でラビが朝陽に語り掛けていく。

「オレたちの愛は、オレたちが互いに知っている。オレたちの想いは、共通の思い出として残っていく。あの時に話し合ったこと、その時に感じたこと、こうして触れ合った時の温もり……全部が、オレたち二人の愛の証だ。何年経っても色あせることなく積み重なっていく、何物にも代えがたい宝物なんだ。オレの側に朝陽がいてくれるだけで、そういった宝物が毎日増えていく。……だから、謝らないで」

　悲しみに暮れる朝陽を慰めてやりたい。そんな気持ちを込めて、ラビの真摯な想いが述べられる。
　ラビにとっては、朝陽といるだけで毎日が幸せなのだ。その幸せも、愛する人の笑顔があってこそ。涙で濡れた顔など見たくはない。
　朝陽は、自分のワガママがラビを苦しませると思っていた。けど、それは違う。
　ラビにとって一番悲しいのは、朝陽が悲嘆の奥底に沈んでいる時だ。自分のことを責めて、一人で悩んで泣いている朝陽の姿こそ、ラビの心を痛めさせる要因に他ならない。
　そういった気持ちをラビの言葉から感じ取って、朝陽も大きくうなずく。

「うん……やっぱり、ごめんなさい。オレ、忘れてました。男のオレが、ラビさんに好きになってもらえて……こうしてラビさんに愛してもらえるだけでも奇跡なことなのに、贅沢言っちゃいました」

　その声色からは、明るいものも聞き取れる。それを聞いた時、ラビの心にも晴れ間が広がった。
　愛し合う二人の心が晴れれば、叶わない願いに嘆いたことも一つの思い出として残る。二人が寄り添い合う限り、永遠に輝き続ける宝物になる。
　ラビの気持ちをキチンと理解したことを伝えるために、朝陽の方から体を寄せていく。
　ラビの腕の中にすっぽりと収まり、温かな鼓動に耳を傾ける。
　自分のために速くなっていく心音もまた、愛の証。
　今も、これからも続いていく幸せな未来。
　互いの愛で積み重ねていく幸福の日々を、二人同時に思い描いていた。

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