「……それ、奏多さんのラビラビ、ですよね？」
「あぁ、どうやら置き忘れみたいだな」

　学園内に設けられた休憩用の椅子。そこに、ちょこんと座るウサギのヌイグルミを、立ち寄ったラビが手に取ったところだ。
　そのヌイグルミに、ラビも朝陽も見覚えがあった。彼らと同期の奏多がいつも持ち歩いている、奏多が親友と称するラビラビだ。

「うーん……もしかしたら奏多も、今頃ラビラビを探して走り回ってるかもしれないな。戻ってくるまで、一緒にいてやろうか？」
「あ、はい。オレも、ラビラ……ラビさんと一緒に待ちます。奏多さんが、ラビさん……じゃなくて、ラビラビさんを迎えに来るのを」

　ラビとラビラビ。似たような名前ゆえに、朝陽も混乱しているようだ。
　ヌイグルミの名前と間違えられるのはラビも複雑な心境だが、そんな朝陽の様子もまた可愛いと思ってしまう。
　二人がラビラビを見つけてからじきに、パタパタという足音と共に奏多がやってきた。

「あーー！　ラビラビ、見つけたよ！　ごめんね、一人にしちゃって……って、あれ？　ラビと朝陽？」

　親友を見付けた喜びから、それを持ち上げる人物には一瞬気が付かなかったようだ。駆け寄ってくる途中でラビと朝陽の存在に気付いた奏多が、小さく首を傾げる。

「もしかして、二人がラビラビを見つけてくれたの？」
「あぁ、たまたま通りかかったら一人で椅子に座ってるから、奏多に置いていかれたのかなと思って」

　ラビは、あくまでラビラビのことを普通のヌイグルミだと思っている。けれども純粋な奏多に合わせて、物言わぬウサギのヌイグルミを奏多の親友として扱ってやる。
　ラビラビを受け取った奏多は、さも大切そうにギュッと抱きしめる。それからラビを見上げると、満面に笑顔の花を咲かせた。

「ありがとー！　ラビ、大好き！」

　ラビラビを手に持ったまま、奏多がラビに飛びつく。大柄なラビの体にしがみ付くようにして、力いっぱい抱き着いた。

「わわっ……か、奏多……さん？」
「あ、はは……ちょっと大げさじゃないかな、奏多？」

　全身で感謝を伝えてくる奏多に驚きつつも、邪険に振り払うことも出来ずにラビが苦笑する。
　脇にいた朝陽も、突然の事態に顔中を真っ赤に染めて二人を見つめていた。

「だって、僕より先にラビラビのこと見つけちゃうんだもん！　やっぱりラビは、ラビラビの化身だね？」

　ラビの胸元から顔だけを離して、ニッコリと微笑みながら見上げてくる奏多の笑顔。こんなにも純真に笑顔を向けられては、ラビも強く言えなくなる。

「う、うーん……ラビラビの化身かどうかはともかく、見つかって良かったね。それにしても奏多……星夜のハグ癖が移ったのかな？」

　奏多と同じグループの星夜と言えば、だれかれ構わずハグすることで有名だ。
　一緒に顔を合わせることの多い奏多なら、星夜とのハグの機会も多いことだろう。それで奏多自身もハグに抵抗が無くなったといったところか。

「うん！　星夜が言ってたよ。ハグっていうのは、相手に自分の想いを伝える一番の方法だって。だから、ラビラビを見つけてくれて『ありがとう』のハグ～♪」

　ますますラビの体を強く抱きしめる奏多。奏多よりずっと背も高く鍛えているラビだから、ハグもし易いのだろうか。
　側で固唾を呑んで見守っていた朝陽が、ふと奏多と目が合う。もう一人、感謝を伝える相手がいたことに奏多も気が付いたようだ。

「朝陽も、ありがとね！　だーい好き！」
「わ、わーっ……か、かな……奏多、さんっ……」

　自分よりも小柄な奏多であるが、正面から飛びつかれては朝陽も倒れそうになるのを堪えるのに必死だ。
　ハグどころか人に触れられることに馴れていない朝陽は、目を丸くして固まってしまった。
　その隙に、抱き着いた奏多は朝陽の胸に頬を擦りつけてくる。柔らかな髪の毛が揺れるたびに良い匂いがして、朝陽も奏多の笑顔に見入ってしまう。

（奏多さん……か、かわいい）

　思わず浮かんだ感想に、朝陽の手が自然と奏多の頭へと伸ばされる。よくラビが自分にしてくれるように、奏多の頭を優しく撫でていく。
　朝陽の手の温もりを感じて、奏多がますます朝陽にすり寄ってくる。そんな奏多を可愛く感じるのと同時に、ある願望が朝陽の頭に浮かんでくる。

（オレ、も……こんな風に……奏多さんみたいに振る舞えたら……ラ、ラビさんも、オレのこと……か、可愛いって思ってくれるの、かな……）

　そこまで考えたところで、朝陽は目を閉じて唇を尖らせた。何を考えているのだろうと、恥じ入っている様子だ。
　朝陽の心の中までは、流石のラビも読めない。奏多の行動に朝陽が困り切っていると考えて、やんわりと声を掛けた。

「奏多、ラビラビが見つかったのは良かったけど、星夜たちの方は良いのかい？」

　ラビから仲間のことを指摘されて、奏多も我に返る。慌てた様子で、それまで抱きしめていた朝陽の体からパッと離れる

「あっ、そうだった！　僕、もう行くね。ラビ、朝陽、ホントにありがとね～」

　現れた時と同様に、パタパタと足音を立てて去っていく奏多。その腕には、しっかりと親友を抱えている。
　奏多の姿が見えなくなってからもしばらく、ラビと朝陽はその場に留まっていた。そして、互いに何か言いたそうに視線を向け合う。
　ラビと目が合った朝陽は、頭に浮かんだ想像を意識して俯いてしまう。
　朝陽も、恐らく自分と同じことを思い浮かべたはずだ。そう信じて、ラビの方から歩み寄る。

「……自分の気持ちを相手に伝えるには、ハグするのが一番……だそうだよ、朝陽？」
「は……はい……」

　奏多が言った台詞を改めて口にする。それを今度は二人で実践してみようという提案だとは、朝陽もすぐに気が付いた。朝陽自身、同じことを考えていたために。

「……いいかな、朝陽？」

　顔は俯いたままだが、体だけは正面を向いてくれた。それをＯＫサインと受け取って、ラビが朝陽の細い体にそっと腕を回す。
　力を込めれば折れてしまいそうなくらい細い朝陽の体。優しく労わるようにして、朝陽の背中を引き寄せる。

「……どうかな？　オレの気持ち……伝わってる？」

　胸の中にある小さな温もりは、自分への好意と愛情に満ちている。それと同じだけの想いを、ラビも朝陽に与えているつもりでいた。
　ところが、朝陽の口から聞こえてきたか細い返事は、全く予想しない内容であった。

「…………いいえ」

　朝陽からの返事に、ラビも硬直した。
　ハグを通じて自分の想いを伝えられると思ったのに、朝陽は否定で返してきた。この世の誰よりも朝陽のことを愛するラビの想いを。
　ショックで次の台詞が出てこないラビの胸に顔をうずめて、朝陽がポツリポツリと語っていく。

「伝わら、ないです。ラビさんは、優しすぎるので……これだけじゃ、伝わらないです。もっと……こ、このくらい、強く抱きしめてくれない、と……」

　朝陽の細い腕が、ラビの背中に回される。服をキュッと掴んで、細いながらも精一杯の力を込めてラビを抱きしめてくる。
　小刻みに震える腕。破裂しそうなくらいに高鳴る胸。密着した状態から、朝陽の全身の様子が直にラビに伝わっていく。
　そこにどれだけの想いが込められているのかも、ラビの心に直接伝わっていった。

「……朝陽の想い……オレへの想い……すごく、熱いんだな。ロシア生まれのオレには熱すぎて、溶けてしまいそうだ。このまま朝陽と一つに溶け合いたくなってしまう」

　恥ずかしがり屋の朝陽には耐えられそうにないくらい、照れくさくなるような台詞。
　それでも朝陽はラビの体を手放さず、腕に込めた力を少しも緩めない。自分がどれほどラビのことを想っているのか。言葉以上に伝えられる手段を見つけられたのだから。
　その想いに、ラビも言葉だけで返そうとは思わない。朝陽が勇気を振り絞って教えてくれたのだ。本当に自分の想いを偽りなく伝えたいのであれば、相手への気遣いや遠慮は無用だ。真剣だからこそ、ありったけの力で抱きしめてやるべきなのだ。
　腕を背中に回したまま、朝陽の肩と腰を掴んで力を込める。二人の境界が無くなって本当に一つになるのではないかというくらい、力いっぱい朝陽の体を抱き寄せる。

「……ラ、ビ……さん」

　息苦しさから上手く言葉が出てこない。体が微かに軋んでいるのも自分で分かる。それでも朝陽の中にあるのは、喜び以外の何物でもない。痛みも苦しみも感じられないくらい、ラビの温もりと愛情とを体中で感じ取っていた。

「……伝わった？　オレの本当の気持ち」
「は、い……。とても、温かい……ラビさんの想いも、とても熱くて……優しい。オレ……大好きなラビさんから、こんなに愛されて……嬉しい、です」

　力強く抱いてくる腕、密着した胸の鼓動、優しく囁いてくる吐息。ラビの全てが、朝陽への愛を訴えていた。
　それを実感して、朝陽も更に強くラビを抱きしめる。自らもまた、ラビに伝えたい想いを抱いているために。
　溶け合う互いの温もりが、どんな言葉よりも正確に愛を語り合っていた。

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