「黄金聖闘士」編
第二話 金牛宮
星矢たち四人の青銅聖闘士は十二時間以内に十二宮を突破して、教皇の間へと辿り着かなくてはならない。これを果たせない場合、彼らが仕えるアテナ城戸沙織の命は尽き、地上を邪悪が支配する事となる。
「一番目の白羊宮を出て、もう十分以上は走り続けているぜ。第二の金牛宮はまだなのか？」
全力で石段を駆け上がりながらも、その息は少しも乱れていない。しかし限られた時間を意識する度に、不安な気持ちが体全体を委縮させる。
「いや、見えたぞ！ あれが金牛宮に違いない」
傾斜の大きい石段の上に、屋根らしきものが見えてきた。他に道が無いところからして、あれこそが十二宮の二番目・金牛宮であろうという確信が、一行の気持ちを軽くさせる。意気込んで宮の中へと走り込むが、人がいる気配はまるでしない。
「どういうことだ？ てっきり
「あらゆる危険を察知するはずの、僕のチェーンもまるで無反応だよ」
「ということは、タウラスはちょうど出払っている最中ということか？」
ならば金牛宮は楽に通り抜け、大いに時間短縮となるだろう。そんな期待が強まった途端、四人ともが壁にぶつかったかの如く後方へと吹き飛ばされた。
「な、何だ今のは!?」
目を凝らして前方を見据えると、通路の陰から巨大な人影が現れた。目映いばかりの金色に輝く
「貴様たちが
姿を見せた大男が被るマスクの左右から突き出た大きな角は、正しく雄牛のそれと見紛う程に立派に屹立している。この男がタウラスの黄金聖闘士に相違ない。それにしても圧巻なのは、星矢の一・五倍はあろうかという身長だ。筋肉もそれに見合う程に発達しており、如何に聖闘士の優劣が体格ではなく
「青銅聖闘士ごときが、白羊宮を通れるとは……ムウの奴、未だジャミールから帰らぬのか、それとも……」
「そうさ！ 俺たちの聖衣の輝きを見てみろ。これこそムウの奇跡の技法によって生まれ変わった青銅聖衣だ！」
「愚かしいな。貴様たちの聖衣が如何に強化されようとも、俺たち黄金聖闘士と並ぶだけの戦力にはなるまい」
嘲るようなタウラスの言葉に対し、星矢はカチンと来る前にムウの話を思い出していた。黄金聖闘士と他の聖闘士たちとの決定的な差と言える、小宇宙の真髄の話を。
「分かってるさ。聖闘士の力の差は、聖衣ではなく小宇宙で決まるってな。それは詰まるところ俺たちだってセブンセンシズに目覚めれば、黄金聖闘士とも互角に渡り合えるってことだろう」
「何、ムウからそんなことまで聞かされていたのか？ ならば、お前たちがセブンセンシズにどれだけ近付いているか、身をもって確かめてやろう。このタウラスのアルデバランがな」
そう宣言したものの、アルデバランは向かってくる気配も無ければ戦闘の構えすら見せない。ただ行方を阻む仁王立ちで、両腕を胸の前で組んでいるだけだ。それなのに、その姿勢には一片の隙も見受けられない。一見して隙だらけなのに、青銅聖闘士たちは攻めあぐねて早くも汗で全身を濡らしていた。
「何という威圧感だ……だが、これ程に恐怖を感じる理由が分からない」
「そうだ。奴の体からは殺気はおろか、小宇宙さえ感じられないというのに」
しかし、教皇の間まで残り十の宮が待ち受けている。こんなところで時間を食う訳にはいかない。相手の恐怖に飲まれて怖気づいてはいられない。
「よし……俺がやってやる！ ペガサス流星拳ー！」
星矢の右拳から、無数の流星がマッハの勢いで飛んでいく。それをアルデバランは、避ける動作も見せずに真正面から受け止めた。にも拘らず、流星拳の威力はアルデバランの肉体に傷を付けることはおろか後ずさりさせることさえ出来ない。
「今の拳のどこが流星と呼べるのだ？ やはり試すまでもなかったようだな」
アルデバランの余裕の笑みが、星矢たちに更なる恐怖を与える。そして、その恐怖を拭い去る暇もなく四人は一斉に天井付近まで吹き飛ばされていた。
「うわぁぁぁー」
床に叩きつけられる前に、かろうじて受け身を取ったものの何をされたのか見当もつかない。アルデバランは先ほどから、両腕を組んだまま微動だにしていないのだ。
「拳を放つことなく、これだけの芸当が出来るとは……まさか、サイコキネシスか？」
「いや、違う。俺たちの体は念動力で操られたのではなく、確かに小宇宙の衝撃を受けていた」
そこまで至った思考が、四人にある重大なことを思い出させた。
「そうだった。黄金聖闘士は、全員が亜光速の動きを身に付けているんだった。俺の流星拳をかわした時も、今の攻撃の際も、俺たちの目に捉えられないだけでアルデバラン自身は超スピードで動いていたんだ」
「だが、奴の体から殺気も小宇宙も微塵も感じられないのはどういう訳だ？」
「恐らく、攻撃の際の一瞬にだけ小宇宙を放っているんだろう。だから瞬のチェーンも、何の反応も示さなかったんだ」
少年たちの推理は、彼ら自身を恐懼させるだけであった。眼前に立ちはだかる黄金の猛牛が、実際の体躯以上に巨大な山に見えてくる。
「実際に黄金聖闘士と対峙して、ようやく悟ったようだな。お前たちでは、俺のグレートホーンを見切ることすら出来ぬ。まして俺を倒し、この先の宮へ進もうなどと雲を掴むような話よ」
もういいな、と言わんばかりにアルデバランが退路を示す。黄金聖闘士の実力を知って戦意を失ったのであれば、早々に引き下がれと言うのだ。だが、星矢たちには元より撤退という選択肢は用意されていない。
「俺たちが諦めてしまえば、沙織さんが……アテナの命が失われてしまうんだ。例え実力差がどんなにあろうと、アルデバラン……お前を倒すことを諦める訳にはいかない！」
「ならば残された道は、一つしかないぞ。この金牛宮に貴様らの墓標を立てるのだな」
雄叫びを上げてアルデバランへと向かっていく星矢。しかし悲しいかな、その拳がヒットする前に星矢の体は吹き飛ばされていった。あまりの速さに仲間たちも受け止めることが出来ず、星矢の身は後方の壁へと叩きつけられる。全身の骨がバラバラになったような錯覚を覚え、星矢も短く呻いて意識を手放してしまった。
「ムウめ、いささか聖衣を強化しすぎたな。俺のマッハ八十八万のグレートホーンの拳圧を二度も三度も受ければ、ペガサスはとうに死んでいるはず。そうすれば、いっそ楽になれたものを」
そんな声さえ、星矢にはもう届いていない。確かにペガサスの聖衣は無事であり、星矢も命だけは救われた。それでも星矢の肉体が受けたダメージは小さくなく、もはや感覚も意識も失われていたのだ。
暗黒の意識の中、星矢は夢を見ていた。生傷だらけの自分に対し、年上の女性が労うのではなく叱り飛ばしてくる。
「お前、またカシオスに勝てなかったんだね」
「でも魔鈴さん……あいつは俺より年上だし、体もずっと大きいんだ。どう考えたって、俺のが不利だよ」
「甘えるんじゃないよ、星矢。お前だって何年もカシオスに痛めつけられてきて、悔しい気持ちが溜まっているはずだろう？ だったら泣き言なんて吐かず、ここいらで見返してやろうって気にならないのか？」
聖域にやってきて以来、星矢をしごき続けてきたのが魔鈴だ。彼女が施す訓練は、甘えや妥協を一切許さないほど徹底しており、星矢は何度も血反吐を吐いてきた。それでも星矢を肉体的にも精神的にも鍛え上げ、人知を超えた力を身に付けさせてくれた恩人として、星矢は魔鈴を尊敬していた。ギリシア人のライバルたちに勝てないということは、魔鈴の教えに泥を塗るのも同じ。そういった考えから、星矢は愚痴を止めて師の教えに耳を傾けた。
「いいかい、星矢？ カシオスの体格がどんなに立派であろうと、お前がカシオス以上に小宇宙を燃焼させれば決して勝てない相手じゃないんだ。それにお前は、自分より体の大きな相手と戦う場合のコツを知らない」
「戦う……コツ？」
「例えば、私やお前の故郷である日本に伝わる剣道では、攻撃に重点を置いた上段という構えが存在する。この構えは自分自身を大きく見せることで相手を威圧し、そして高い位置から鋭く強烈な一撃を放つ。反面、初太刀を仕損じた時は隙だらけの体勢を相手に晒すこととなる。私が言いたいことが分かるかい？」
「つまり上段の相手……自分よりも大きい敵を相手取る場合は、初太刀――すなわち最初の一撃を外させろって話でしょ？ あぁ、そっか！」
「そうか……初太刀だ。アルデバランの初太刀さえ、かわしてしまえば……」
夢から覚めた星矢が、ぐらつく頭を押さえながら周囲の様子を探る。気を失っていたのは、ほんの短い時間のはずだ。ところが、その短い時の間に仲間の三人が全員やられて、自分と同じく床に転がされていた。
「フン……ペガサスがやられた時、何を見ていたのだ？ 策も無く突っ込み、こうして薙ぎ払われるだけとは……」
アルデバランの声が遠くから聞こえてくるが、それは意識が朦朧としているためだ。頭を振って意識を覚醒させ、視界を凝らせばアルデバランは最初の位置から少しも動いてはいないのが分かる。
「みんな……立ってくれ。俺には、アルデバランを倒す策があるんだ……俺に力を貸してくれ」
星矢が起き上がり、未だ戦う気力を持ち合わせているのを見て、アルデバランも目を見開く。感心したように二、三度うなずいてみせるが、浴びせかける言葉は辛辣だ。
「今、何と言ったのだ、ペガサス？ 頭を打ち過ぎて、そんな笑えぬ冗句しか口に出来なくなったか？」
「そんな馬鹿デカイ角で塞いでいるから、耳が遠くなったんだろう？ お前を倒してやるって言ったのさ、アルデバラン！」
その口調は、しっかりとした闘志を含んでいた。自棄になった無謀さではなく、勝機を見込んだ発言に聞こえた。その言葉に呼応して、仲間たちも起き上がる。アルデバランもまた、星矢の策というものを見てみたくなった。
「セ、星矢……本当に奴を倒す策があるのか？」
「俺たちには、奴の拳さえ見えないんだぞ……」
「そうだよ……身動き一つ取らずに吹き飛ばされるなんて、まるでサイコキネシスだ」
仲間たちの言葉には、まだ若干の弱音が感じられた。だが、それを無視して星矢は考えを述べる。ここで自分も迷いを見せては、せっかくの勝機も遠く離れていってしまう。皆の弱音を吹き飛ばすくらい、自信に溢れた発言をしなくてはならないのだ。
「確かに、奴の亜光速の拳を見切ることは難しい。だけど、あくまで両腕から繰り出している拳に違いはない。サイコキネシスと錯覚するのも分かるが、俺の流星拳と同様の体術であるのは確かだ。そして、それは初太刀を外してしまえば構え直すまで本来の威力を失ってしまう」
「初太刀……？」
聞き返した一瞬の後、三人も悟ったような表情をした。星矢は頷き、仲間の顔を見渡す。
「紫龍、氷河、瞬……皆は俺の盾になってくれ」
その提案に、三人の仲間たちは即座に肯んずる。例えここで命尽き果てようとも、残った星矢が十二宮を突破して沙織を救えるのであれば、それが彼らの本懐。同じ血を分けた兄弟たちに、多くの言葉は無用だ。
「作戦は決まったか？ だが、これが最後だぞ。次で俺のグレートホーンを破れぬようであれば、お前たちの首を教皇の御前に並べてくれる」
「いいだろう。なら、こっちはお前のマスクを吹き飛ばすと予告するぜ」
自信に満ちた言葉を口にして、星矢が静かに闘志を燃やす。その小さな体に、熱い小宇宙が漲っていく。アルデバランは、変わらず両腕を組んで様子を見守る。すると星矢の体を隠すようにして、残りの三人が前に躍り出た。しかし、彼らもアルデバランに攻撃する気配は見せない。
「何のつもりだ、お前たち」
紫龍は左腕に装着された盾を構え、瞬が仲間を取り囲むようにしてチェーンを伸ばし、そして氷河は得意の凍気を発生させて壁を作っている。明らかにアルデバランのグレートホーンを防ぐための防御策だ。アルデバランは、これを挑発と受け取った。青銅聖闘士のガキ共は、愚かしくも矮小な能力の寄せ集めで黄金聖闘士の技を防げると考えているらしい。乗せられた訳ではないが、その浅はかな考えを掻き消してやるのも彼らのためと思い、アルデバランは三人に意識を集中させた。
「いいだろう、望み通りくれてやるぞ……グレートホーン！」
両腕を組んだままの姿勢から、眼光だけを研ぎ澄ませる。瞬間、宇宙が爆発するかのような衝撃が三人を襲う。今度は耐えられる。三人の思いを一つにして、それぞれが繰り出せる最大の防御能力を発揮させることで、容易く吹き飛ばされることだけは何とか堪えた。
「だが、そのままでは攻撃には移れまい。そうら、こちらも力を込めるぞ」
初めてアルデバランが両腕を解く。その丸太のような腕を前方へと伸ばし、広げた掌から黄金の小宇宙を放射する。勢いを増したグレートホーンによって、氷河が張った氷の壁は崩れ、紫龍の盾ごと、瞬のチェーンごと飛ばされる。そしてアルデバランは、違和感に気付く。三人の後ろにいるはずの星矢が姿を消していることに。
「ペガサスは……どこだ？ はっ！」
紫龍たちに気を取られて、さしもの黄金聖闘士も反応が遅れた。見上げた頭上、星矢が背中に翼を広げて飛翔していた。
「食らえ、アルデバラン！ ペガサス彗星拳！」
星矢の右腕から飛ばされた渾身の一撃が、光にも迫る速さで飛んでいく。その一撃は狙い通りにアルデバランのマスクをかすめると、勢いを衰えさせることなくアルデバランの背後の石畳に直撃して、敷石の一つを真っ二つに割った。
金牛宮の中を金属音が響き渡る。二つの角を生やしたタウラスのマスクが、主の頭から離れて飛ばされ、床へと落ちた。
「どうだ！ お前のグレートホーンがどんなに凄かろうと、最初の一撃を放ってから再び構えるまでの間は無力化してしまうのさ。さあ、今度はマスクだけじゃなく首を落としてほしいか？」
息巻く星矢を見下ろして、アルデバランが額に血管を浮き出させる。自慢のマスクを飛ばされて、相当頭にきている様子だ。そうなれば、ますます星矢に有利である。冷静でなくなった者の拳は、如何に強力であろうとも精細さに欠ける。星矢にだって見切ることは出来るはずだ。
「貴様ら……やるではないか！」
てっきり怒り狂って襲い掛かってくるかと思われたアルデバランが、意外なほど快活に笑い出した。星矢もファイティングポーズを取りながら、唖然としてしまっている。
「はっはっは、いや格下の青銅聖闘士にここまで押されては、俺も負けを認めるしかあるまい。お前たちが黄金聖闘士にも一歩も退かぬ闘志の持ち主であり、十分に渡り合える実力者であることが分かった以上、ここを通さぬ理由も無かろう」
「もしかしてアンタ、俺たちを試していたのか？」
グレートホーンで飛ばされた仲間たちも、星矢の側へと駆け寄ってくる。その一同を見回すアルデバランの顔からは、相手を一人前と認めている赴きが感じられた。
「ムウが長いこと不在であった以上、俺は言うなれば十二宮の門番よ。黄金聖闘士と戦えるだけの力の無い者をむざむざと死なせるのも夢見が悪いからな。だが、お前たちは俺の肉体を傷つけたりマスクの角を折ったりする事こそ叶わなかったものの、さっきの反撃は及第点と言えよう」
年長者であり、上位に位置する黄金聖闘士に認められた。そのことが、若き聖闘士たちの顔を晴れがましくさせた。星矢たち四人はアルデバランに見送られて、金牛宮を後にする。先はまだ長く、この先に待ち受ける黄金聖闘士たちがアルデバランと同じとは限らない。いや、きっとこちらの命を容赦なく奪いにくるであろう。一段と気を引き締める少年たちの目に、火時計の二番目の炎が消える瞬間が映った。
アルデバランは、小さくなっていく星矢たちの背に複雑な視線を向けていた。その実力が並の青銅聖闘士の物ではなく、突き進もうとする覚悟も理解できた。しかしながら、全力で向かってくる黄金聖闘士を相手に、果たしてどこまで渡り合えるであろうか。星矢の彗星拳によって生じた敷石の亀裂を見れば、これがセブンセンシズに目覚めていない闘士の仕業かと将来が楽しみにもなる。その芽を摘むことになるのではないかという憾みが、アルデバランに深い溜息をつかせた。
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