「黄金聖闘士」編
第六話 処女宮
夢の中であろうと、その胸に不安な予感が往来したのであろうか。カシオスの死と合わせて、シャイナは目を覚ました。眠っている間も、常に手を握ってくれていたカシオスの温もりを覚えている。耳に届いてきたカシオスの言葉を記憶している。そのカシオスが、今は側にいない。よもやと思い、シャイナは急いで表へと出た。
その足は、自分を何処へ運ぼうとしているのか。明確な所見がある訳ではなかったが、シャイナは確かに十二宮へと向かっていた。傷つき深く眠っている間、カシオスが微かに告げてくれた気がするからだ。星矢たちが十二宮へと乗り込み、カシオスもまた星矢を追って。
「シャイナ――」
不意に名前を呼び止められ、そちらを向くシャイナ。見れば黄金聖闘士レオのアイオリアが、誰かを抱きかかえて立っていた。その抱えられている人物を認めると、シャイナは力無く膝を折ってしまう。
「カシオ、ス……」
仮面の隙間から漏れ聞こえてきた名前は、アイオリアの腕の中の人物を的確に示していた。だが、それに対する返答は望めない。愛弟子の体が既に冷たくなっていることに、シャイナは触れる前から悟った。
かろうじて立ち上がるも、シャイナはアイオリアの方へは一歩も近づけないでいた。激しい後悔が、頭の先から貫いてくる。そんな衝撃に打たれ、体を小刻みに震えさせるのみだ。その心境を察したアイオリアが、シャイナの足元にカシオスの遺体をそっと横たわらせる。
「アテナの聖闘士の名に恥じぬ、立派な最期だった」
シャイナの視線は、自然と真下へと送られた。実に安堵の表情を浮かべている。愛弟子の死に顔を見て、最初に抱いた感想がそれだ。決して苦しみながら、望んでもいない死を迎え入れたのではない。無言のまま、カシオスは師にそう告げていた。
「俺に言われるまでもないことだろうが、どうか手厚く葬ってやってくれ」
何があったのか、シャイナはあえて問わない。星矢を追っていったはずのカシオスが、どうして遺体となってアイオリアの手で運ばれてきたのか。そこにいかなる経緯や理由があろうとも、自分には咎められる資格など無いのだ。全ての原因は、自分にあるのだから。
日本において、星矢を庇ってしまったこと。師弟を超えたカシオスの想いに気付いてやれなかったこと。肝心な時に眠ったまま、何も出来ないでいたこと。全てが、今回の悲劇を招いた元だ。シャイナは自分の落ち度を認め、心の中で自己を責めた。
動きを見せないままでいるシャイナに対し、アイオリアはあえて背を向ける。この場に留まることに耐えられなかったからではない。この状況においても、冷静に的確に見極めたからだ。今、己が果たすべき行いを。
「私は教皇をアテナに背く真の逆賊と定めた。水面下においては教皇への不満を募らせる者たちもいよう。それらに呼び掛けて、今こそ聖域の邪悪を一掃する。そうでなければ、カシオスを手に掛けておいてレオの黄金聖闘士を名乗り続けることなど出来ぬ」
シャイナの心に、何故か晴れ間が出現した。カシオスに手を下したことを、アイオリアの方から打ち明けてきた。その意図は、全ての元凶を己に見出そうとしているシャイナの心を慰めるためだ。その心の負担を、少しでも軽くしてやるためだ。それが分かったからこそ、シャイナは遠くなっていくアイオリアの背に向かって感謝の気持ちを述べた。
アイオリアの言う、教皇と反目する者たち。その先陣を切っているのが、星矢たち日本から来た青銅聖闘士なのであろう。その事に期待と不安を寄せながら、シャイナは獅子宮の次にある宮を見上げた。空しくなったカシオスの頬に、白い指を添えながら。
青銅聖闘士たち三人が到着した宮の奥、果たせるかな次なる黄金聖闘士が待ち受けていた。床に座して目を瞑り、手元は印を結んでいる。血色を無くしたかのように白い肌と、腰元まで伸ばした黄金色の頭髪とが特徴的な細面の青年だ。
「第六の宮・処女宮まで、よく参った。私がバルゴの黄金聖闘士シャカだ」
今、確かに声が聞こえた。その当たり前の現象に対し、星矢たち三人の青銅聖闘士は息を呑んだ。何故なら、その声は空気を震わすことなく、星矢たちの耳を介さず直接頭脳に響いたからだ。目を閉ざしているばかりではない。口を開いて話すことさえ、この男はしないのだ。星矢たちの頭の中で、以前に一度でも聞いたことのないシャカの声が再生される。その無響の声に、三人は言いようのない畏れを抱いてしまった。その、あまりに人間離れした所業と佇まいとに。
「どうした？ わざわざここまで上ってきたのは、恐れをなすためなのか？ さあ、私に君たちの小宇宙を見せてみろ」
無言のまま、テレパシーでの挑発。そのことに、いつまでも怯えている場合ではない。意を決して星矢が一歩、前へと踏み出す。
「いいだろう、目に物見せてやるぜ！ ペガサス流星拳！」
星矢の右腕が繰り出した小宇宙の弾丸。それがシャカに到達したかと思った次の瞬間、流星の全てが軌道を変えて星矢へと舞い戻っていった。たまらず星矢は自らの攻撃に打ち据えられ、床へと伏してしまう。
「な、何だったんだ……今のは？」
「よし、今度は俺の番だ」
星矢に代わって、紫龍が前に出る。視力を取り戻し、気合も十分だ。
「炸裂しろ、我が拳よ！ 廬山昇龍覇！」
しかしながら、紫龍の渾身の技さえも星矢の時と同じだ。天を貫く程に飛翔する龍神の小宇宙でさえ、シャカの眼前で翻って紫龍の身を襲う。三人は、どっと噴き出した汗で全身が冷え込むのを覚えた。
「この技……いや、この現象は……これまで出会った黄金聖闘士でさえ行えた者はいない」
「しかも、この人の小宇宙は静寂を保っている。まだ本気じゃないんだ」
一度は払拭したはずの恐怖。それが一同に、再び圧し掛かってくる。ムウを除いた四人の黄金聖闘士を突破できたことなど、やはり奇跡でしかなかったのかと思い知らされた。
「この処女宮にまで上がってくるからには、それだけの理由があるものと思っていたが……やはり、この程度だったか」
脳内に届いたシャカの声は、まるで興味を失ったような響きをたたえていた。とすれば、いよいよ敵の方から攻撃を仕掛けてくる。星矢も紫龍も起き上がって身構えるが、一向に攻撃の姿勢に入らないシャカの姿に戸惑った。だが、安堵は出来ない。安座したままのシャカの内側からは、激しく燃焼していく小宇宙の高まりを感じるからだ。
「聖域の静謐を乱した君らに慈悲など無用。奈落の底へと落ちたまえ」
シャカの全身から光が迸る。瞬間、星矢たちは至上の幸福を垣間見た。優しく微笑むアテナの姿に感じ入った。それが黄泉への道標であるなどとは露ほども疑わず、安楽のまま死出の門出を受け入れた。
「天魔降伏――。この光速の拳を見切れずして、アイオリアの攻撃から如何にして逃れたか……それだけが疑問だが、これで全て片付いたな」
処女宮の床に倒れ込む三人の姿。瞼を開けずとも、シャカには全てが見えてた。もはや彼らの命の根源たる星命点――守護星座の形に刻まれ、体内に眠る小宇宙を呼び醒ますチャクラ――は一切が消滅してしまっている。心の臓は鼓動を止め、血の巡りを失った肉体は二度と起き上がりはしない。
星矢たちは死んだのだ。志半ばの処女宮で、永遠の眠りについたのだ。その死の床の中で、瞬の指先だけが微かに動いていた。
「アンドロメダだけは、星命点が完全には消えていない。咄嗟にチェーンで防御したか。だが、愚かな……大人しく死を受け入れていれば、余計な苦しみを味わうこともなかったろうに」
無慈悲なるシャカの指先が、倒れる瞬へと伸ばされる。次の瞬間、シャカの指先から飛んだのは無情なる小宇宙ではない。真紅の飛沫がシャカの白い指に滲み、処女宮の床へと零れ落ちていった。
視覚だけでなく痛覚までも閉ざしているのか、シャカには自身の指先の裂傷など感じられない。それでも、自らが守護する処女宮に第四の侵入者が訪れた気配だけは察していた。先に相対した星矢たちとは、数倍も実力の異なる聖闘士の存在に。
「アテナのおわす神殿への道のりを、血で穢した罪は重い。名乗りたまえ」
「貴様ごときの耳に入るなど、俺の名が貶められるわ。だが、己を倒した相手の名も知らぬまま世を去るのも不憫。地獄の鬼どもに聞かせてやるがいい。このフェニックス一輝の名をな」
不遜を極めた物言いであったが、不思議とシャカは苛立ちを覚えなかった。むしろ感心さえしていた。フェニックスの聖闘士の伝説は、十二宮にまでも届いていたのだから。
「なるほど。若干十五歳の身でありながら、暗黒聖闘士どもを屈服させただけのことはある。そこの三人とは面構えが違うようだ」
フェニックスの聖衣が創造されてから、実に四百年。それまで、この地上にフェニックスを名乗れる聖闘士は現れたためしがなかったのだ。この一輝が誕生するまでは。
八十八の星座の中でも最強と謳われるフェニックス。その史上初の聖闘士となった一輝なら、自身の肉体に傷を付けることが出来たのも道理とシャカは合点し、薄ら笑いを浮かべた。
「強がって余裕のつもりか？ それとも、その笑みは観念した証拠か？ どちらにせよ、俺の弟たちを葬ってくれた礼は熨斗を付けて返してくれるぜ」
「それはそうだろうな。これで君が弟たちに面と向かって詫びる機会など、永遠に失われてしまったのだから」
一輝は、肺腑をえぐられた思いがした。この男は、どうして自分の過去を知っているのか。どうして、自分の触れられたくない急所を的確に言い当てられたのか。
「君の方こそ強がりが消え失せたな。このシャカ、幼少のみぎりより神仏と対話してきた身。その私に見抜けぬことなど、果たしてあろうかな」
シャカの弁が真実であるかどうかは問題ではない。真に問題とすべきは、心の動揺から後れを取ってしまうことなのだ。一輝は瞬時に気持ちを切り替えて、目の前の黄金聖闘士を憎むべき敵とみなして闘志を燃やす。
「見抜けぬことなど無いとほざいたな？ その閉じた眸でよく言ったものだが、ならば俺の全身から漲る貴様への怒りも感じよう。そいつをブチ込まれる覚悟はいいか」
「口が達者なのは君の方だな。いいだろう……フェニックスが如何に最強と呼ばれようとも所詮は青銅。この黄金聖闘士のシャカの前では無力だということを教えてくれる」
戦いの幕が開く。それを予感して一輝もますます小宇宙を燃焼させる。ところがシャカの方は、全く動こうともしない。
「どうした？ まさか座したまま戦うわけではあるまい」
「ほう、君と私とで勝負になるとでも？ 予告してやろう。君は一切、私に触れることなど出来はしない。そして私は、触れることなく君を屠れるのだぞ」
それは流石に自惚れが過ぎる。いかに黄金聖闘士の発言とはいえ、聞き捨てることなど出来なかった。先程は無防備であったとはいえ、シャカの指先を傷付けたのだ。今度は本気の一撃を見舞ってやり、その見下した態度を撤回させてやる。血も沸き立つ憤怒の全てを攻撃的小宇宙に転換して、一輝は拳をシャカへとかざす。
瞬間、一輝は驚愕した。限界にまで高められた自分の小宇宙とは、まるで比べ物にならない程に燃え滾るシャカの小宇宙に。それに気圧されたのか、一輝の右拳に集められた小宇宙は、瞬く間に萎んでしまう。
「君のような荒くれ者に似合いの末路――君自身で、しかと見届けるがいい」
ゆっくりと威厳をもって、シャカが両掌を一輝へと向ける。右手を揚げて左手を垂らす、施無畏与願印だ。かつては弟たちをも憎悪して命を狙った一輝の所業、その全てを赦し包み込むかのように偉大な小宇宙が放たれる。
「六道輪廻――。人間の心というものは、一定ではない。常に揺れ動き、さすらうもの。今から、君の現在の心根に相応しい世界へ送り込んでやる」
シャカの宣言が終わると同時に、一輝の視界が暗黒に包まれた。そして足元が崩れる感覚に陥り、真っ逆さまに落ちていく。これは幻覚ではない。一輝の肉体は正しく、漆黒の淵に沈みこんで処女宮から姿を消してしまったのだ。一輝自身は何が起こったのか分からず、叫び声を上げる暇すら与えられず。
「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天……六道のいずれに飲み込まれたかは、君次第。いずれにせよ、これで十二宮を脅かした青銅聖闘士は全滅……」
その確信が、目の前で裏切られる。シャカの心眼を以てしても見抜けなかった。フェニックスの聖衣に宿る神秘の奇跡を。
「不死鳥が……羽ばたいた？」
処女宮の中を、一羽の霊鳥が自由に飛び回る。やがて床に羽を休めると、聖衣を纏った一輝の姿に変幻した。灰燼の中から復活を果たすという、フェニックスの伝説そのままに。
「残念だが、俺の背に生えた翼はいかなる闇からの帰還も叶う。この世の地獄と謳われたデスクィーン島からも舞い戻ってみせたようにな。そんな俺を冥府に落とし込むことなど不可能」
自らの術を破ったことには、シャカも些か驚き感心した。だが、それだけだ。掛けられた術の本質を見極めることも出来ず、未だに自らの手の上で弄ばれていることに気付いていない。そんな一輝に対し、シャカは含み笑いした。
「冥府か？ このシャカもまた、アテナに傅く黄金聖闘士の一人。冥王ハーデスの支配する冥界などとは無縁の身よ。六道輪廻とは、仕掛けられた相手の心の境地に応じて作り上げられた仮想空間に閉じ込める技なのだ」
「何を得意気に話している？ その術の本質を聞かせてしまったことを後悔させてやろう」
出来るものならやってみせろ、とばかりにシャカは余裕の態度を崩さない。その脳天へと向かって、一輝の拳が決まる。
乾いた金属音を一つ響かせて、黄金のマスクが床に落ちる。
「鳳凰幻魔拳。貴様の頭脳は、これで俺の支配下に落ちた。さあ、今度はお前が六道に落ちる番だ」
一輝の拳の威力は、バルゴのマスクを吹き飛ばすことは出来た。しかし、拳を撃ち込まれたシャカの額には痣すら残ってはいない。これで良いのだ。一輝必殺の幻魔拳とは、相手に外傷を負わせるのではなく脳神経を引き裂く魔性の拳。此度は六道輪廻と同じ作用を引き起こすべく、シャカの心の状態に応じた地獄絵図を脳裏に植え付ける。この技を受けて正気を保てた者はいない。ところが、シャカは平然と一輝にテレパシーを送り続ける。
「青銅聖闘士の君が、黄金聖闘士の技を再現するとは驚きだ。だが……このシャカ、とっくに此岸から解脱を果たしている身。その私に、落ち行く六道など有り得ない」
正しく仏陀の化身の如く、シャカは超然と幻魔拳を退けてしまった。それは、今まで一輝と出会ったどんな敵にも果たせなかった偉業。その事実を突きつけられて、不本意ながらも身が竦むのを感じた。
「君の秘策は失敗したようだが、これで合点がいった。君が先の六道輪廻から舞い戻れたのは、何もフェニックスの翼によるものばかりではない。幻魔拳を操る君は、自分の頭脳すら自在に操作できるといったところか。それで瞬時に自身の心を無と成し、こうして処女宮への帰還を遂げた。ならば小細工は止めにして、その聖衣と肉体を打ち砕いてやる」
シャカの小宇宙が激しく燃焼する。六道輪廻に用いた時とは、程度が異なる。今度は明らかに破壊に使うための小宇宙だ。先程高められた小宇宙にさえ、一輝は萎縮した。それが、まだ全力ではなかったとは。
「だが！ ここで俺までもが、やられる訳にはいかん」
迫りくる黄金の小宇宙を前にして、一輝は切歯扼腕の文字通りに全身に力を込める。そんな努力さえも嘲笑うシャカの声が脳内に響いてくるのが、ことさら鬱陶しかった。
「一輝よ、君の人生は生まれた時から修羅にまみれ、凄惨に満ちていた。そんな現世に拘り続けることに何の意味がある？ 死せば、もう戦いに明け暮れることも兄弟で血を流し合うこともなくなるのだ。生は難く死は易しとも言うぞ？ さあ、血と殺戮で呪われた人生に別れを告げて楽になれ」
星矢たちを一撃で葬った光速拳が、一輝をも襲う。その攻撃に見舞われて、さしもの一輝も無傷では済まない。胸に刻まれた七つの星命点を残らず破壊されると、白目を剥いて倒れ込む。
「さあ、安らかに死を受け入れたまえ。そうして生まれ変わった地において、今度こそ弟たちと安息に暮らせることを夢見るのだな」
力を無くして、ぐったりとする一輝。かろうじて筋肉を小刻みに痙攣させているのが、元は生ある人間の体であったという証拠か。その様子を、シャカは訝しんだ。星命点を奪われた以上、その肉体は即座に冷たい骸と化して筋肉も硬直するはず。それが未だに動いているとは。
視覚や聴覚には頼らず、一輝の小宇宙そのものに注意を向ける。斃れたはずの肉体の奥底からは、微弱ではあるものの熱い生命の小宇宙が感じられる。それが一輝の身体にも活力を与えたのか、死したはずの一輝がゆっくりとではあるが立ち上がる。その眼は、未だ戦意を失ってはいない。
「俺は来世など信じぬ。前世も信じぬ。例え、いつかは尽き果てる運命だとしても……今生きてる一つ限りの命を燃やして、ただひたすら修羅の道を行くのみよ！」
手を叩いて褒めてやりたい程の闘志だ。だが、解せない。生命の根源たる星命点を失ったのだ。闘志だけで立ち上がれるものではない。もう一度、隈なく一輝の心身を探ってみると、失われたはずの星命点が、その全てが再び宿っていた。
「そうか、君の守護星座はフェニックス……その形に象られた星命点は、例え命尽きたとしても自力で蘇ることが可能という訳か」
その七つの星命点を結んだ形と同じ、不死鳥の小宇宙が先程から真っ赤に燃え盛っている。一輝の攻撃的小宇宙が最大限に達した証拠だ。倒れていた際は弱々しかった小宇宙が、今や地上の全てを焼き払える程に大きく膨らんでいる。
「冥途の土産だ。もう一つ、フェニックスの妙技を受けて死ね！ 鳳翼天翔！」
灼熱の烈風と化した鳳凰の小宇宙が、シャカの全身へと二重三重に降りかかる。青銅聖闘士としては常軌を逸した猛攻を繰り出されて、シャカも一輝の底力を見誤っていたことを認めた。しかし、それはシャカに敗北を悟らせる域には行きつかない。次の瞬間には、一輝の方がシャカの何倍も驚愕していた。
「バカなっ……星の一つをも吹き飛ばすであろう威力を秘めた炎の翼を受けて、微動もせんだと……」
鳳翼天翔をまともに受けたシャカの身体は、元の位置から少しも後退することなく涼しい顔をして座っていた。変化といえば、シャカが座っている位置の前後に一文字の小さな裂け目が出来ている点か。最強を自負する拳が何の効果も発揮せず、一輝は項垂れそうになるのをすんでのところで堪えた。
「いや、流石と言うべきだろう。ここ処女宮の敷石に、これだけの亀裂を走らせたのだ。そんな事、青銅と白銀の全てが力を合わせようとも不可能だと思っていたからな」
そんな気休めが何になろう。もはや万策尽きた。これ以上は小宇宙の高めようがない。いくら一輝といえども、歴然たる力量の差を見せつける黄金聖闘士という厚い壁を前にして、気力が萎えるのを如何にして防ぐかで手一杯であった。
「君の聖衣、星命点、そして小宇宙……これらを滅するには、私も生半可な方法では手を焼くと分かった。ここまで死力を尽くした君への礼儀だ。このバルゴのシャカ最大の奥義をもって、今度こそ必ずや君に永遠の死を見舞ってくれる」
今のままでも、一輝はシャカに抗う術は一つも持たない。この上、シャカにはまだ策があるというのか。次なるシャカの一手に、一輝は刮目する。
「この宇宙に存在する万物は、全て無常。それが四諦を越えることで、十全とした調和へと行き着く。その真理が解き放たれた時、バルゴのシャカ最大の奥義――天舞宝輪は完結する」
シャカの掌の中で、黄金の小宇宙が神々しく輝き出す。人の所業とは思えない。正に神の業を体現したかのような輝きだ。その掌の中の輝きが、小さな爆発と共に弾け飛ぶ。瞬間、シャカを中心にして雄大なる小宇宙が広がっていく。それは新たな宇宙の誕生を思わせた。神の手によってしか成しえない宇宙の創世をシャカがやってのけた。そんな風に一輝は錯覚した。
「何なのだ、この空間は？ ここは処女宮ではないのか？」
一輝は正しく、シャカが繰り広げた小宇宙の只中にいた。それは光が織りなす闇の世界。上も下も無限に開かれて果てが臨めない。白亜の柱で支えられた十二宮の光景など片鱗も残さぬ、何も無い空間。戸惑う一輝の双眸がシャカの姿を捉えた時、冷汗が頬を伝う感覚に声を漏らした。
「シャカが、目を……」
開いている。深く吸い込まれるような神秘性をたたえた瞳で、まっすぐに一輝を見据えている。変化はそれだけに留まらない。真一文字に結ばれていた唇さえも開かれ、そこからシャカ本来の声を発する。
「天舞宝輪――。この攻防一体の陣を張った以上、君には確実なる死しか訪れない。そう、今度こそ本当にな」
シャカとは決して盲目の唖ではない。一輝は、それを知らされた。瞼を開け、口を利く。恐らく、耳も鼻もこれまでは閉ざしていたのだろう。その一切を、この空間で解放したのだ。そして一輝は想像を膨らませる。今、ここにあるのがシャカの実体なのではないかと。自分たちは処女宮に足を踏み入れた時から、シャカの結界に取り込まれていたのではないか。そうしてシャカは、処女宮に投影した自らの幻影を、この空間から操っていたのではないかと。
「色即是空、か？ なるほど、面白い考察だな。ならば、今なら君の拳も私に通じるのではないかな」
一輝の考えを見透かした上での挑発。実体であろうと空虚であろうと、シャカの神にも近い能力に変わりはない。混乱に浸食されそうな頭をしきりに振って、一輝は何とか正気を保とうとする。そして、あえて挑発に乗って小宇宙を燃やす。
「最大の奥義だと？ こんな模様替えをしただけの虚仮威しが何度というのだ。自慢の空間ごと、貴様の実体を粉砕してくれるわ。鳳翼天翔ー！」
両手で放つ決死の一撃。その燃え滾る小宇宙の稲妻がシャカに当たろうかという寸前、急に威力が衰えていく。一輝が撃ち出した渾身の小宇宙は、シャカに近付くにつれて弱まり、とうとう消えてしまった。シャカが特別、防御の法を見せた様子は無い。この空間そのものによる作用ということか。
「宣告してやったはずだぞ、一輝。君は私に、触れることさえ出来はしないのだ」
シャカが手をかざす。天魔降伏の光速拳が襲い掛かってくることを予期して、咄嗟に一輝は後ろを向いた。背にはためく鳳凰の翼に限界が来るまで、一先ずこの場から離れることを決心した。これは臆病風に吹かれての敵前逃亡ではない。最終的に敵を討つために、今は敵の攻撃を躱すことに専念するのだ。
この行けども景色の変わることのない空間に、果てがあるのかは分からない。終着まで行けずとも良い。シャカの目の届かぬ処まで逃れた後、回り込んで後背を衝いてやる。
そんな意気込みを抱いていた一輝であったが、ふと不安に駆られて足を止める。そして、恐る恐るゆっくりと後ろを振り返る。一輝の危惧した通り、果たせるかなシャカはそこに居た。一輝が翔け出す一秒前と、全く変わらぬ居住まいで。少しも変わらぬ距離を保ったまま。
「有り得ぬ……そんな姿勢で、フェニックスの翼に追いついてきただと？ いや、違うのか……お、俺は……俺の方が……」
始めの位置から、一歩も動いてはない。これもシャカの結界によるものか。一輝の方からシャカに向かおうとしても距離は一向に縮まらず、反対に離れようとしても逃げ切れない。シャカの言った攻防一体という言葉の持つ意味を、一輝は今こそ悟った。
「何をしても無駄……それに気付いたか。ならば、次なる恐怖を与えてくれる。まずは、その邪魔な聖衣からだ」
シャカの十本の指から、戦慄すべき光が走る。地上最強を誇るはずのフェニックスの聖衣でさえ、その攻撃には耐えられない。息を呑む暇さえ与えられず、一輝は身ぐるみ剥される。その聖衣は瞬く間に半分は溶解し、半分は灰となって消えた。自分の身に何が起きたのか。その把握が追いつかない一輝に対し、シャカの追撃は待つことを知らない。
「聖衣を失った肉体など、もはや無用の長物。君には触覚すら必要ない」
次なる光が一輝の身を通り抜けた後、一輝は全ての感覚が消失した気分を味わった。全身、爪先や髪の毛一本の先に至るまで痺れて動かない。シャカと相対したことによる恐怖によるものではない。足は立っている感覚を脳へ伝達することを忘れ、指を動かそうとしても自分の体であるように思えない。一輝の身体は、正しく触覚という器官を奪われたのだ。
「これで終わりと思わぬことだ。天舞宝輪は、君の五感全てを剥奪するまで続く。さあ、次は嗅覚を奪ってくれる」
鼻孔を目掛けて光が飛ぶ。例え、それを視覚で捉えようとも先に触覚を奪われた一輝に、どうして回避することが出来よう。五感の二つ目、嗅覚までも一輝は失った。
「呼吸もままならぬまい。だが、鼻を塞がれた真の恐怖は別にある。匂いというものは、記憶と感情に直結する器官。それを無くした君は、命を取り留めようとも廃人決定だ」
恐怖が一秒ごとに一輝の双肩に被さってくる。どうしたって逃れることのない絶望。蛇に生きたまま呑み込まれ、胃袋の中で少しずつ溶かされていく恐怖を前にして発狂せずにいるのが不思議なくらいだ。その強固な意志も、どこまで持つのであろう。
「情けだ。言い残したことがあるのであれば、遺言ぐらいは聞いてやってもいいぞ」
どうやら次に破壊する場所は決まったらしい。その舌が動く内に、話し終えろという訳だ。末期を突きつけられた今、一輝は何を話すのか。ただ、目の前の敵に対しての問い掛けが思い浮かんだ。
「貴様……これだけの技と力を持ちながら、何故それを悪のために使う？ 貴様とて人間。その人間が会得するには、あまりに度を過ぎた小宇宙。それを身に付けられたのも、貴様の心根が正しかったからではないのか？ 神仏と対話してきたと言ったな。神は決して悪しき者に道を示したりはしない。貴様ほどの黄金聖闘士が、何故に邪悪の教皇に従う？ 何故に教皇に立ち向かわない？ 神から与えられた奇跡の力を、なぜ……」
一輝の言葉は、そこで遮られた。シャカの光の矢が舌に突き刺さり、その機能を停止させたからだ。最後まで一輝に言わせなかったのは、シャカ自身、耳が痛かったからであろうか。いいや、然に非ず。見当違いの考えで悪態を付く一輝に我慢がならなかったからだ。神から黄金聖闘士の資格を授かった自分を侮辱することは、神を冒涜するも同じ。そんな暴言を先達として許してはおけなかったからだ。
「これで味覚も消えた。残された二つの感覚の内、聴覚が機能している間に真実を聞かせてやる。このシャカもまた、他の黄金聖闘士と同様にアテナのため、地上の愛と平和を守り抜く宿命に生きる者。その目的のために、あえて悪の片棒を担ぐことなど有り得ない。私が人の本質を見極めることが出来るというのは、先刻教えてやったな。その私には、はっきりと断言できる。教皇は、君らが言うような邪悪の化身ではない。紛う方なき正義だ。それを知っているからこそ、私は自分の意思で教皇に従っている。そのお言葉を、アテナの宣旨としてな」
口が利けるのであれば、一輝は「馬鹿な」と吠えたかった。それではまるで、自分たちの方が過ちを犯しているようではないか。真のアテナに導かれてギリシアまでやってきた星矢たちの方が。
一輝も、白羊宮で横たわるアテナを目撃した。正義の黄金聖闘士が、それを護っている姿も見た。伏せているアテナの身から、神々しく温かな小宇宙が流れ出しているのも感じた。それを何故、神にも近き男が見抜けぬのか。
「君に残す言葉は以上だ。その耳も塞いでくれる」
無音。それだけが響く。一切の物音が遥か彼方へ遠ざかっていっただけに留まらない。平衡感覚を失った一輝は、天地が逆転する錯覚に酔った。天舞宝輪の中では元より上下の違いも見分けが付かないが、眼前のシャカが頭を逆さにして座っているように見える。自らに必死で幻魔拳を施しているのか、こんな状況に陥ってもなお一輝は狂乱へは至らない。いっそ正気など手放してしまった方が、遥かに楽であろうに。
シャカの口元が、何かを告げるように動いた。その声は、一輝には届かない。唇の動きを読もうなどという程に冷静でもない。それでも頭の奥の方で、シャカのテレパシーが宣告してくるのが聞こえた。
「視覚以外を奪われ、出来ることは見ることのみというのも辛かろう。その瞳を最後まで閉じることなく、恐怖に耐えきったことは感心してやる。だが、その抵抗もこれまで。私が最後の視覚を剥奪すると同時に、君の生涯も幕を閉じるのだ」
一輝が今生で最後に見る事となる光。その光がシャカの手から迸った瞬間、一輝は
天舞宝輪の結界が収束すると、そこは元の処女宮だ。シャカは、やはり座したまま目を閉じたままで口を結んでいた。瞼を透かして見通す一輝の肉体は、床に伏して少しも動こうとしない。それも当然。一輝の心臓は活動を停止させ、戦いに明け暮れていた肉体を休ませようとしているのだ。永遠に。
「今や、頭脳のみが僅かに働いているに過ぎん。だが、心の臓が止まっているのだぞ。とすれば血液の流れも滞り、脳に酸素が運ばれなくなる。唯一残された脳が死ぬのも、時間の問題……その上で、君は何をしようというのか？」
シャカの質問は、倒れ伏している一輝に対するものではない。いつの間にか、瞬がチェーンを手にして立ち上がっていた。一輝にとって最愛の弟が、その兄の今際に気が付いて起き上がってきた。だが、シャカにしてみれば空しいばかりの抵抗だ。
「最強と呼ばれたフェニックスまでも、赤子同然に敗れたのだ。君ごときに、一体何が出来ると考えている？」
相手の本質を見抜くことに長けた黄金聖闘士に掛かれば、その相手の意図を掴むことなど造作もない。例え敵わぬと分かっていても、最後まで死力を振り絞るために瞬が立ち上がったことを知っていた。それが、あまりに哀れだった。
「その心掛けだけを見れば、なるほどアテナの聖闘士として申し分ない。故に、その宿命から逃れられないが故に君らは悲しい。まるで死するために戦いに身を投じるようだ」
「そうかもしれない。だけれど、兄さんの覚悟を見せつけられて、それで黙って寝ているなんて僕には出来ない。兄さんは僕らのため、アテナを守らんと命を落とした星矢や紫龍のため、一命を賭して貴方に挑んだ。僕だけが、貴方に恐れをなして逃げるなんて……あの世で兄さんに会った時に顔向け出来ない」
優しい顔付きをした瞬の瞳が、闘争心に燃えている。正しく一輝と血を分けた弟だ。決して諦めることなく強敵に挑む姿勢も、内に秘めた強大な小宇宙も。それが一日の内に、こうして幾つも失われるのは惜しいとシャカは思う。取り分け目の前の瞬に対しては、見逃して生かしてやりたいとさえ考えてしまう。彼の本質を見て取れるが為に。
「だが……それはどうやら、君の方が許してはくれぬようだな。いくら私が促そうとも、君は決して処女宮を去りはすまい。兄弟に報いるため、か……。それが人の世の定めというのなら、アンドロメダ……君も兄らの後を追うがいい」
シャカの雄大な小宇宙が、再度燃焼を始める。瞬は何故か、それと同じくらいに高まる別の小宇宙を背後からも感じていた。無論、シャカの方もそれに気付かぬはずがない。
「何だ……この処女宮をも揺るがす程の小宇宙を感じる。この力……これは、まるで黄金聖闘士の……」
シャカ程の男でも、自分の感覚が疑わしく思えた。その最高位の聖闘士に匹敵するだけの小宇宙が、息絶えたと思われた一輝から感じられたからだ。一輝の身体は、五感の全てを断たれてなお起き上がっている。しかし、瞼は閉じて両腕はだらりと下がっている。肉体に力が入っていないのは明白だ。では、なぜ立ち上がることが出来たのか。
「これは……脳波だな。幻魔拳を最大に発揮させることで、自身の肉体を脳波で操っている。即ち、まだ剥奪されていない第六感を駆使して抵抗しようというのか」
それだけのテレキネシスを身に付けていることも驚きだが、それだけでは説明の及ばないことがある。一輝が優れた第六感を有しているのは分かった。だが、それと小宇宙とは別物なのだ。一輝が黄金聖闘士並の小宇宙を放っていることの説明にはならない。
「シャカよ……今の俺の状態に、お前が気付かぬはずはあるまい。心当たりが無いなど言わさぬ」
一輝の声が、シャカの脳内に響く。傍らで見守る瞬の頭にも、確かに届いた。一輝の命は、まだ失われていないという安堵から、瞬は瞳を潤ませた。その瞬を挟む形で一輝と対峙するシャカは、心の底で思案する。
「先程までの一輝には、これほどまでの小宇宙は宿っていなかった。それが、今は……天舞宝輪で五感を悉く断ち切られた今は……」
その果てに待ち受ける憶測は、一つしか無い。五感を失うことで、残された器官が働きを補おうと活性化されたのだろう。つまり頭脳を司る第六感と、もう一つ。
「第七感……小宇宙が」
一輝の身に起こった現象を解説するのであれば、それしかない。一輝は五感と引き換えに、小宇宙の源泉である第七感を勢いづかせることに成功したのだ。それをシャカが理解できたのは、シャカもまた同様だからだ。常日頃から自身の五感を断つことで、神にも近しい小宇宙を蓄えているシャカなのだから。五感を奪われていく中で、一輝もそれに勘付いたのだ。
「だが、私がそれを行えるのも全ては小宇宙の究極……セブンセンシズに目覚めているゆえだ。並の聖闘士である君に、どうして天舞宝輪を耐え切って第七感を爆発させることが出来た？」
一輝の本質とは何なのか。心の眼で以て、一輝の心底を探る。消失した五感ではなく、輝かんばかりに燃え滾る第七感に注意を向ける。黄金聖闘士の自分と同じく、金色に白熱する黄金の小宇宙に。
「間違いない。これは、セブンセンシズ……。一輝の小宇宙は……いや、小宇宙だけではない。消滅したはずの聖衣までも……待て、あの聖衣の形状……フェニックスではない。あれは、レオ!?」
咄嗟にシャカは、周囲にアイオリアの気配を探った。そんな物は少しも感じられない。明らかにレオの聖衣は、一輝の身に纏われている。この地上において、獅子座の黄金聖闘士以外に許されないレオの聖衣が。
「お前ほどの男が、狼狽のあまりに幻視か？ 改めて言ってやろう。俺の名はフェニックス一輝。例え死したとしても、灰の中から再び蘇るのだ。この世の邪悪を滅ぼすまでな」
一輝は気付いていないのか。セブンセンシズに目覚めた以上の奇跡が、その身に起きている事に。いや、傍目の瞬にも一輝が黄金聖衣はおろか自身の青銅聖衣さえ装着していないと分かる。シャカだけが、一輝にレオの姿を重ねていた。相手の本質を正確に見極め、捉えることの出来るシャカのみが。
「どうやら俺の小宇宙を、レオの黄金聖闘士並と認めてくれたようだな。その礼だ……お前には、ちょいとばかり三途の向こう岸まで付き合ってもらうぜ」
セブンセンシズに到達したことで、亜光速の動きをも手に入れたのか。一輝の身が次元をすり抜けるような速さでシャカの真後ろに移動する。元よりセブンセンシズを会得しているシャカが、何の抵抗も無しに背中を取られたとは思えない。一輝の次なる手をも読んでいる。その上で、甘んじて受けようというのか。
「なるほど……確かに黄金聖闘士と同等の力に目覚めたようだな。だが、それで私を何処へ連れていくなどと豪語した？ やめたまえ。君の力や覚悟では、所詮は私に敵いはしないのだ。本物の黄金聖闘士である、バルゴのシャカにはな」
「フッ、その黄金聖闘士も命は惜しいと見えるな。そんな下手な命乞いで、俺の覚悟が揺らぐと思うのか？ アテナを救うため、俺はまだ死ねないと思った。だから、お前に勝つことのみを考えていた。だが、こうして瞬が立ち上がった以上、俺の命などお前と相討ちになっても構わぬ」
一輝の黄金の小宇宙が、ますます激しさを増していく。その熱量は、今や銀河の星々をも燃やさんばかりだ。その小宇宙の高まりに、果たして一輝自身がどこまで耐えられのか。そして、一輝が密着しているシャカもまた。
そんな危機に瀕して、なおもシャカは一片の抵抗も見せない。観念したためか。そうではない。あくまでシャカの心眼は冷静に、一輝の覚悟を見据えている。そして見届けようとしている。一輝の捨て身の行いが、果たしてシャカに対する脅しに過ぎないのか。それとも本気で自らを犠牲にしてでもシャカを倒そうとしているのか。
「小宇宙は十分に高まったようだな。後は、それを極限まで爆発させるのみ。さあ、望むまま解放してみるがいい。君に、それが出来るのならな」
「言われるまでもない。この俺の小宇宙と共に……今こそ散れ、シャカ！」
二人を包み込む輝きが、紅蓮の炎を思わせるように暴れ出す。それを目の前にして、瞬は近づくことも出来ない。黄金聖闘士同士の戦いに、もはや瞬は付いていくことが出来ないのだ。その眩い小宇宙が、最後の煌めきを放つ。怒号のような地響きは収まり、処女宮は静寂を取り戻す。閃光から瞳を守るため、咄嗟に瞑っていた目を開けた瞬は、そこで息を呑んだ。
「兄、さん……？」
その名を呼ばれたフェニックスの聖闘士は、影も形も残してはいなかった。だが、それは無駄死になどではない。自身が命懸けで宣言した通り、一輝はシャカを道連れにしていた。遥かに格上である黄金聖闘士と互角にまで小宇宙を燃やし、その黄金聖闘士を連れて死出を旅立ったのだ。
瞬は、叫び出したいのを堪えた。わずか十三歳の少年が、兄弟を次々と見送りながら、懸命に孤独に耐えていた。
「分かったよ、兄さん……僕は行くよ。例え一人になろうとも、僕は最後まで戦い抜いてみせる。戦って勝利を収め、沙織さんを……アテナを救い出す」
全ては、その為なのだ。彼らが、この時代に生まれた意味は、アテナを守るためにある。その道を妨害する敵は、一輝が我が身と引き替えにして葬った。処女宮には、あの細く長い金髪の一本も残されてはいない。ただ虚しく、一輝によって飛ばされたバルゴのマスクが転がっているだけだ。
「星矢、紫龍……。ちょっとの間だから、ここで待っていて。兄さんの分は叶わなかったけれど、せめて君たちだけは僕がきちんとお墓に入れてあげる。こうして僕だけが助かった命を、決して無駄にはしない。兄さんたちから託された想い……兄さんが最後に見せてくれた勇気と小宇宙が、一人ぼっちの僕を支えてくれている。その想いを無駄にせず、この十二宮の戦いを終えて、僕は帰ってみせる」
瞬の頭には、しっかりと未来の自分が映し出されていた。アテナの加護の下、平和と安寧に包まれた地上で暮らす自分の姿が。それは、兄弟たちを弔っていく余生でもある。この地上に、自らの命を捨ててでも平和を守ろうとした誇り高き聖闘士がいたことを墓碑に刻む夢。それを実現するためにも、瞬は戦いを遂げることを天に誓った。
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