「白銀聖闘士」編
第六話
〜誇りの渾名〜
強力な小宇宙を感じる。それと同時に、周囲の気温がどんどんと冷え込んでいく。
「
冬には、まだ早い時期に粉雪が舞う。それに混じって降り立つのは、白鳥をデザインした純白の
「やはり
「貴様のことは聞いているぞ。
カペラの堂々とした名乗りに対し、氷河は何故か薄ら笑いを浮かべていた。まるで、その名を鼻で笑うかのような面持ちだ。
「カペラだと？ こいつはいい……『雌山羊ちゃん』とは、お似合いだぜ」
年下の氷河に名前を馬鹿にされ、カペラも頭に血が上るかと思われたが、そんな素振りは見せなかった。カペラの冷静さを損なわせるのが狙いの挑発だからと見抜いたからではない。幼少の頃から付きまとっていたコンプレックスに、今さら動じることなど有りえなかった。
カペラの名前の意味など、本人が誰よりも承知している。氷河が評した通りの意味も。その名を冠する恒星が、何にも増して誇り高い存在に由来していることも。だからこそ、今なお幼少時の渾名を名乗り続けているのだ。
「どうした？ お前の技を見せてみろよ、雌山羊ちゃん」
「言われるまでもなく見舞ってくれる。このアウリガの
なかなか誘いに乗らないカペラに対し、氷河も執拗に挑発を続ける。とうとうカペラの方から折れて、攻撃に出ることにした。しかし、冷静さは全く欠いていない。氷河も、自身が戦いの主導権を握れないまま拳を交えることとなり、若干は緊張を走らせた。
カペラの左右の腰に装備された円盤。それは御者座と結びつきの強い戦車の車輪を象ったものだ。その二枚の円盤を左右それぞれの手に持ち、回転を加えて氷河へと投擲する。 その速度はマッハを超えているとはいえ、氷河にも見極められないほどではない。スピードと軌跡を冷静に捉え、氷河の両腕がノーザンクロスを刻む。
「ダイヤモンドダスト！」
両の拳から一発ずつ、凍気を帯びた小宇宙が円盤を目掛けて飛んでいく。熱を奪い、運動を停止させるのが目的だ。だが、円盤の回転速度は氷河の予測を上回っていた。
「なに……俺の凍気が!?」
高速回転することによって円盤から高熱が発せられているのか、はたまた回転の勢いによるものか。氷河の放出した冷気は円盤の動きを止めること敵わず、逆に跳ね返されてしまった。
「甘いぞ、キグナス。御者座の聖闘士を舐めるな」
相手の攻撃に合わせて、自らも攻撃に出ていたことが明暗を分けた。目測を誤ったがために円盤の勢いは衰えることなく、氷河へと突っ込んでくる。その対処に移るのに、氷河は一瞬のロスを出してしまった。
跳び上がって回避しようとする氷河であったが、判断の遅れは取り戻せない。ギリギリのところで一枚はかわせたものの、もう一枚の円盤は氷河の右脚をかすめる。
「うわぁーっ」
接触は、ほんの僅かほどであった。それでも円盤には、白鳥星座の聖衣を切り裂くのに十分な威力が宿っていた。骨にまで達するような深刻なダメージこそ無かったが、空中でバランスを崩した氷河は受け身を取るのがやっとの思い。体勢を建て直す余裕など微塵も無かった。
その氷河のがら空きの背中に、かわしたと思っていた円盤が弧を描いて舞い戻り、聖衣の上から氷河の背に一撃を加える。
「ぐっ……」
あまりの衝撃に声も出せず、両手を地面に着いて悶絶する。だからといって、敵が攻撃の手を休めてくれる訳ではない。氷河は目の前に覆いかぶさる黒い影に気が付いて顔を上げるが、その時にはカペラの追撃は終わっていた。
「ぐおぉ……」
カペラの伸ばした人差し指が、氷河の聖衣の肩パーツを刺し貫いている。その強度を確かめるような行いに満足すると、カペラは距離を取って再び円盤を持って構えた。
「その目は、まだ死んではいないようだな。ならば立て。そうでなくては、俺も狙いが付けづらい」
言われるがまま立ち上がる氷河。右脚の負傷も酷くはなさそうだ。
一連の攻防において、やられっぱなしの氷河ではあったが気付いたこともある。円盤の動きは、それ自体が意思を持って予測不能な軌跡で飛び交ったり、あるいはカペラがテレキネスで操作している風ではない。あくまで自然の物体の動きに過ぎない。背中と肩の痛めた部分を庇いながらでも、回避することは出来るはず。
「そんな程度じゃ、根を上げんぜ。実力を見せてみたら、どうなんだ？ もっとも、今見せた以上の実力を持ち合わせていないんだったら、失礼なことを言ったと謝るがな」
相変わらず強気な様子で挑発を繰り返す氷河。唇の端には、笑みさえ浮かべている。だが、贔屓目に見ても強がりであることは否めない。
「大した度胸だな。雌山羊の俺には、真似できん」
冷静に皮肉を返され、氷河の方が表情から笑いを消してムッとする。そこで本性を隠しきれないところが、まだ氷河の青い部分か。
「ふん……クールを装っているが、お前もなかなか激情の性格のようだな。心の奥のギラついた刃が見え見えだぞ」
「だったら、どうだと言うんだ？ クールに徹しきれない俺では、お前に対して勝ち目が無いとでも言うのか？」
ますますムキになって憤る氷河の素直な様に、カペラは笑いがこみ上げてくるのを辛うじて堪えた。もはや氷河は、自分の足元さえ見えていない状態。カペラの勝機は見えていた。
「虚勢を張るなよ。今すぐ、楽にしてやるさ」
カペラにとって氷河は、今や完全に掌の上でもがいている状況。どう料理してやろうかと考えていると、不意に予想だにしない気配を感じた。
――ダンテの小宇宙が消えた。
まさかとは思うが、ダンテが戦っていた青銅聖闘士と思われる小宇宙は残ったままだ。これは早々と決着をつけるべきだと思い直し、既に追い詰めた標的である氷河に意識を集中させる。もはや遊んでいる時間は無い。氷河のそっ首を落としてやらんと、カペラは二枚の円盤を勢いよく投擲する。
「祈りでも捧げるんだな、キグナス！」
「お前のためにか？ 俺は、敵に情けを掛けない主義でね」
末期の瞬間まで減らず口の収まらない奴だと思ったところで、カペラの視界から氷河の姿が消えた。高速で回転する円盤は、二枚とも氷河がいた場所を素通りして遠ざかっていく。何が起きたのかと目を凝らすと、姿勢を低くして地を滑る氷河を見つけた。
「これは……奴め、いつの間に地面を凍らせたのだ!?」
気付かない間に自分たちの周囲の地面に氷が張られて滑りやすくなっている。ダメージを負った今の氷河でも、少ない動作でカペラとの距離を詰めることも可能だ。それにしても、いつの間に。
「まさか、さっき地面に手を着いていたのは……」
あれは、てっきり背中に円盤の直撃を受けたがために前のめりになっていたのだとばかり思っていた。あの時、既に氷河は次の攻撃に移るための準備を終えていたのだ。そして頑なにカペラを挑発し続け、一時は自分が冷静ではなくなったかのようにまで振る舞って、カペラの意識が地面に向かないように仕向けた。真に足元が見えていないのは、優勢に立っていると思い込んでいたカペラの方だったのだ。
「そらそら、考え事をしている暇は無いぜ、雌山羊ちゃん！」
その通りだ。気が付けば氷河はカペラの体に手が届きそうなほど接近していた。反撃のチャンスを与えてはならないと、姿勢を低くする氷河に向かってカペラも拳を振り下ろす。それすら氷河の思惑通りだとは、つゆ知らず。
「貴様……何のつもりだ、離れろ！」
巧みにカペラの拳をかわした氷河は、肩車の体勢でカペラに乗っかっていた。そのままウラカン・ラナの要領で体を前方へと倒して、カペラの両足首を掴む。瞬間、カペラの両足は熱を奪われて凍りつき、地面から離れなくなった。
必死にもがくカペラではあるが、両肩も力が入りにくい具合に固められて、さしもの白銀聖闘士も容易には振り解けない。
「カペラよ、俺にばかり気を取られてていいのか？」
その言葉にハッとなり、カペラが前方を見据える。先ほどカペラの手から離れた二枚の円盤が、風を切りながら戻ってきていることに気付こうとも、腕と足を塞がれては回避する術もない。
「ぐわぁー！」
哀れカペラは、自らの円盤によって胸部に大打撃を受けてしまった。同じく円盤のダメージを身をもって知っている氷河だからこそ分かる。今のは決して致命傷には、なっていないと。
素早くカペラの体から離れると、氷河は元の位置にまで下がって小宇宙を高める。不意を突かれたカペラも、これによって逆上する気持ちを抑えて体勢を立て直す。だが、やはり焦りはあった。先手を打とうと、完全に小宇宙が高まり切る前に攻撃に移ってしまった。
「俺は負けん……退くこともせんぞ。食らえー！」
あらん限りの力を振り絞って円盤を放つ。しかし負傷と焦りから、その威力は最初に投じた時の半分にも満たない。今度は氷河が勝利を確信する番だ。
「俺がクールになり切れていないと言ったな？ ならば俺の小宇宙よ、炎のごとく凍れ……そしてクールに燃え上れ！ ホーロドニースメルチ！」
氷河の全身から発せられた動の小宇宙が、凄まじい冷気の竜巻を生み出す。その勢いに吹き飛ばされたのは、円盤だけに留まらない。瞬時に体温の全てを小宇宙ごと奪い取ってしまいそうな猛吹雪の前に、カペラ自身の体も木の葉のごとく舞い散っていった。
「これが俺の戦い方だ。小宇宙は熱く……ただし敵に対しては、どこまでも冷徹になってみせる。御者座の聖闘士……大神ゼウスの乳母の名を冠せし男よ」
その瞳は、凛として自分が生み出した光景を見やっていた。その心が少しでも、ざわつこうものなら叱咤した。激しく立ち上る小宇宙と、相手を認める発言とは裏腹に。
ダンテとカペラが逝った。そのことを感知しながら、今まさに
「まさか、あの二人までも退けるとは……」
人選の誤りであったとは思わない。死出へと旅立たせてしまった二人への申し訳なさも無い。アテナの名に従って勇敢に戦った者に対する非礼となるからだ。白銀聖闘士を束ねる任に就く者として、アルゴルは己を律していた。
「やはり、私自らが赴かねばならぬ相手か。それにしても、彼らをこうまで駆り立てさせるものとは何なのだ？ たった四人の青銅聖闘士によって、これで六人もの白銀聖闘士が倒された。そんな話は、オリオン座のジャガー以外に聞いたためしがない。ジャガーにしても、遥か古代の記録が伝えられているだけで真偽は定かではないのだ。もしも、この天地の道理を覆すほどの奇跡を青銅聖闘士に起こせるとすれば、それは……」
アルゴルの脳裏に浮かんだ可能性は、二つあった。しかし、その内の一つは万人が一笑に付すほどに愚の骨頂。
「残る可能性は、想い……信念の力とでも言うべきか。彼らが、そこまで強く信じる何か……その何かのため、青銅聖闘士たちは小宇宙を白銀以上に燃やし高めることで、奇跡を起こしている。それだけの決意をさせるもの……是非とも、我が目で見たいものだ。何故なら我ら聖闘士にとって、そこまで命と信念を懸けるものなど……」
大いなる女神アテナ以外に無いのだから。
そう思ったところで、アルゴルの思考はやはり、もう一つの可能性に行き着いてしまうのだった。
青銅聖闘士の信じるものは何なのか？ それはアテナに代わりうるものなのか？
「アテナご自身が、聖域を離れて日本におられるなど……あろうはずがない！」
秘境と言われる聖域の中でも、特に神聖とされ聖闘士であっても教皇以外に立ち入りの許されない聖地が二つある。一つは教皇の務めの一つである星見の観測所、スターヒル。今一つは聖域の最奥、アテナの鎮座するアテナ神殿。
そのアテナ神殿から微かに窺える、戦いの女神アテナの巨像に敬虔な目を向けながら、ペルセウス座のアルゴルは輝く白銀聖衣を纏い日本へ行く心を決めた。
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