「白銀聖闘士」編
第九話
～愛と掟の狭間で～
「へぇ、シャイナさんって、そんな顔してたのか」
一人きりで目を閉じると、いつでも聞こえてくる。あの時、日本から来た少年から言われた言葉。その一言が記憶の中から離れようとせず、何度も何度も頭の中で繰り返される。
女人禁制が常である
ちょっとした油断から、その仮面を外してしまった時が全ての過ちであった。
「お前、どっから来たんだい？」
ほんの気の緩みであった。果てなく辛い修行の最中、僅かに与えられた休息の時間にシャイナは人気の少ない場所に来ていた。大地を割る破壊力を秘めた聖闘士の修行地は、必然的に荒野と化す。その中にあって、僅かながら草花が咲いている場所がある。シャイナが手頃な岩に腰かけていると、そこへ一羽の野兎がやってきた。
「どうした？ この仮面が怖いのかい？」
手招きするシャイナを見つめながらも近づこうとしない野兎に、シャイナは優しく声を掛けた末に手を掛けてしまう。禁断の掟に。自らの性を封じた仮面に。そこから覗いたのは、凶相を模した仮面の造りとは程遠い優しく清らかな乙女の美貌であった。命を賭して邪悪に立ち向かう運命など微塵も感じさせない、解語の花の通りであった。
「へぇ……」
その時、あらぬ方向から声が飛んできた。ハッとなったシャイナは、素顔を隠すことも忘れて声のした方を振り向く。
「シャイナさんって、そんな顔してたんだな。俺、もっとおっかない顔を想像してたよ」
悪びれた様子もなく、無邪気に語る一人の少年。自分と同じく数少ない女子聖闘士の
「星矢、お前っ……」
聖域に来てから十年、アテナの掟に忠実に従ってきた自分の心を踏みにじった少年に、シャイナは激しい怒りを覚えた。恐れと悲しみに満ちていた表情は、憤怒の形相へと変わっていく。仮面に閉ざされてきた感情が剥き出しとなり、その身に渦巻く
「許さないよ……よくも、私の！」
再び仮面で顔を隠すと、シャイナは星矢へと飛び掛かる。先ほどまで笑顔を見せていた星矢も、ただならぬ状況から必死に身をかわす。
「何だってんだよ？ そんな、顔を見られたぐらいで……」
「うるさい！ お前は、アテナから命じられた掟を何だと思ってるんだ？」
確かに掟を破ったという自覚は星矢にもある。聖闘士の女子が頑なに素顔を隠している事は、魔鈴と寝食を共にしている星矢もよく分かっている。それにしても、シャイナの激昂は度が過ぎているように感じられた。
「そんなにムキにならなくたっていいだろ。シャイナさんだって、せっかく可愛い顔してるんだし」
「何を……ふざけるんじゃないよ！」
素早く両手を繰り出し、シャイナは星矢に対して鋭い攻撃を続ける。星矢よりも長く修行を重ねてきた
「逃げるんじゃないよ！ ここで八つ裂きにしてやる……てやぁー！」
高速の拳をかわしていく内に、星矢も目が慣れてきた。相当逆上しているのか、シャイナの拳の繰り出し方は至って単調だ。星矢の表情から次第に焦りが失せていくのが分かり、シャイナは余計に頭に血が上っていった。
「この蛇遣い星座のシャイナを舐めるな！」
シャイナの大振りの一撃。それをかわした星矢の横をすり抜けて、シャイナはバランスを崩した。目の前が崖になっていることにも気が付かず、シャイナは前のめりになって崖下へと転落してしまった。
「シャイナさーん！」
幸いにして高さはさほどでもなかった。シャイナの後を追って星矢も跳び下りる。
「くっ……星矢、よくも！」
「やめてくれよ。今はシャイナさん、自分の体を心配する時だろう」
小さな擦り傷以外に目立った外傷は無いように思われたが、星矢に向かってなおも攻撃を仕掛けた際に、シャイナは明らかに足を庇っていた。見ればシャイナの足首は曲がり、腫れて血がにじんでいる。いかに修行を積んだ聖闘士といえど、自力で立ち上がるのは難しそうだ。
「こりゃ、酷いな……ちょっと待っててくれよ」
星矢が躊躇うことなく自分の服の袖を破ると、それを包帯代わりにシャイナの足首に巻き始めた。反射的に飛び出したシャイナの爪をかわす事もせず、星矢の頬をかすめる。
「急いで手当した方がいい。俺がおぶっていってもいいんだけど……どうせシャイナさん、嫌がるんだろう？ 俺なんかに助けられたくないってさ」
星矢の真剣な様子に、シャイナは口を挟むことを忘れてしまっていた。その星矢が人を呼びに行くためか、自分を置いて立ち去ろうとしたところで思わず手を伸ばしてしまった。それが先程までのような攻撃を意図したものではないことに気が付いて、星矢も歩みを止める。
「星矢、私はお前を殺そうとしたんだよ。それなのに、どうして……」
声が上ずっている。シャイナ自身、そのことに驚いていた。禁じられた自分の素顔を盗み見た少年に対し、一寸丹心を述べることに何故こんなにも心がざわつくのか。
「どうして、私を助けようとするんだい？ それに、どうして全く反撃しようともしなかったんだい？」
声色どころか肩先までも小刻みに震わせながら、シャイナは尋ねる。星矢の唇を尖らせた様子は、そんな事は後回しにしろと言わんばかりであったが、面倒くさそうに頭を掻いた後で口を開いた。
「そんなの、シャイナさんが女だからに決まってるだろ」
全く予期していなかった言葉に、シャイナの心が大きく揺れる。その鼓動が星矢に聞こえまいかという不安が、いっそう心臓を早く打つ。仮面に遮られた表情の変化を勘付かれまいかと、大きな瞳と長い睫毛を震わせ続ける。
「女の人に優しくしちゃいけないなんて、きっとアテナだって言わないぜ。例え自分の命を狙ってくる相手だとしても、俺は女の人に手は上げられない」
それだけ言うと、星矢はシャイナに背を向ける。その小さな背中に向かって、シャイナはいつまでも手を伸ばしていた。
「まして、シャイナさんみたいに優しい人にはね。そうだろう？ あんなに優しい表情が出来るんだもの、やっぱり仮面で隠すなんて勿体ないよ」
「星矢……」
去り際の星矢に向かって、その名前を呼ぶのが精一杯であった。思春期に心を閉ざし続けてきた少女が、初めて知った感情。それを処理する術も知らず、教えられず、以来シャイナの心の奥底から星矢の姿が消えることはなかった。
「だが、星矢……それも、これまでだよ」
自分は仮面で感情を封じた女聖闘士だと改めて言い聞かせ、研ぎ澄ませた爪を光らせるシャイナ。ギリシアを離れた星矢が聖域に謀反を企て、その征伐を教皇から命じられた機会をふいにする訳にはいかない。あの一件以来、片時も忘れずにいた想いを実現させる機会は又と無いのだから。
崖から転落して重傷を負った星矢は、直ちに病院へと搬送された。あえてグラード財団が抱える医師団には任せず、郊外の小さな病院に委ねたのは敵の目を逸らすため。掌中の珠である沙織と、負傷した星矢の双方を守るために残る
沙織たちにとって不運であったのは、日本にまだ無傷の
気配を殺し、小宇宙さえも閉ざしながらシャイナは院内へと侵入を果たした。目指すは星矢の病室ただ一つ。相手は、未だ倒れたままかもしれない。それでも依然として小宇宙を絶った状態で、病室のドアを開ける。ベッドの上で盛り上がるシーツは、すぐに見つかった。顔の上部分にまでシーツを被っていようとも、僅かに覗く髪の色から相手が星矢であるという確信を得て、シャイナが音も無く拳を振り下ろす。
「ちっ……」
シャイナが舌打ちしたのは、その拳がベッドを貫く直前に星矢が跳び上がって攻撃を回避したからだ。星矢は眠りから目覚めていただけでなく、シャイナの襲撃も既に察知していた。
「アンタらしくもないぜ、シャイナさん。小宇宙は感じられないのに、殺気だけはギラギラとさせて……あれじゃあ、どんなに眠りこけていたって気が付く」
まるで遠くにいる沙織や他の聖闘士には悟られないように小宇宙は消しておいて、星矢にだけ危険を伝えようとしていたかのように。しかし、シャイナがそうする理由が見当たらず星矢は不安な目を向けるばかりであった。
「うるさい、黙れ！ 今日こそ……今日こそは、お前の首を……」
腕を掲げて突進してくるシャイナの猛攻を、星矢はまたしても紙一重でかわす。狭い部屋の中とはいえ、体術を駆使して必死にシャイナとは一定の距離を保つ。そこに反撃の意思は見受けられない。
「どうした、なぜ反撃してこない!? いくら聖衣を着ていないからって、戦いを忘れた聖闘士に存在価値なんて無いよ」
「駄目だよ……俺には、どうしてもシャイナさんを攻撃することは出来ない」
星矢が自分の命を狙おうとするシャイナの攻撃を避け続けるのは、隙を突いて逃げたり、ましてや反撃の機を窺っているからではない。戦いは止めてくれと、どうか矛を収めてくれと哀願しているのだ。
「どうしてだい……どうして、お前はっ……そこまで！ 私は……私は、お前の命を……」
「例え、そうだとしたって俺は嫌だ！ 女の人に手を上げるなんて最低なことだろ？ 女神に仕える聖闘士なら尚更だ。特にシャイナさん、あんたは……本当は優しい人だもの」
シャイナの心臓が大きく跳びはね、攻撃の手を止めさせる。星矢が語ろうとする言葉。それを聞きたくて、彼の思いを確かめたくて、シャイナは動きを止める。同時に恐れもあった。こんなにも期待している星矢の言葉に耳を閉ざしたくて、シャイナはひどく動揺していた。聞きたくて溜まらない言葉は、同時に残酷な宣告でもあるからだ。
「俺は……俺だけは知っている。どんなに仮面を付けて誤魔化していても、俺だけはシャイナさんの素顔を……本当の優しい心根を知っている」
「やめろ……」
「戦いや争いなんて何もしらないような、温かな微笑みも……動物を慈しむ思いやりも……そんな人と本気で戦えるはずがない。アテナの下、そういった人たちの平和を守るのが聖闘士の役目だろう？」
やめろと叫びたかった。声を荒らげ、腕力に物を言わせてでも制止したかった。これ以上、彼の気遣いに触れていることが耐えられなかった。誰にも見せず、誰も気付かなかった自分の心根を知っているという瞳に見つめられていることに、心が痛んだ。
「やめてくれ……。私は……」
仮面の隙間から一滴、何かが零れた。星矢は、咄嗟に汗かと考えた。自分の説得によって目的遂行を妨げられ、それによって焦れたシャイナが冷や汗でもかいているのかと想像した。シャイナの瞼の奥から流れ出た、その熱い雫を。
時間は静止していた。静かな病院の狭い一室の中だけが、永遠とも思える氷の時間に支配されていた。だが、外の世界は刻一刻と進んで事態を早めている。その変化に二人が気付いた時、窓の外から立ち込める小宇宙に身体が竦むのを感じた。懐かしいけれど威圧感も与えてくる雄大な小宇宙に。
「何だ、この小宇宙は……」
「これだけの小宇宙を持つ聖闘士なんて、世界中にだって稀なはず。私たち白銀聖闘士の中にだって……。まさか！」
辿り着いた心当たりを確かめんと、シャイナが窓際へ駆け寄る。その不吉な予感を信じたくなくて、どうしても振り払いたくて。しかし、現実はそんな幻想など簡単に打ち砕く。
「アイオリア……」
シャイナが思わず呟いた名前は、星矢にとっても馴染み深かった。遠い異国の地であるギリシアは、東洋から来た星矢には決して温かい土地ではなく、いつも蔑視が付きまとっていた。そんな偏見など微塵も感じさせず、分け隔てなく付き合ってくれた唯一のギリシア人がアイオリアであった。途端に星矢は警戒心を解いて自らも窓辺へと近付くが、外にいる人物の姿を見た瞬間に淡い期待は削がれてしまう。
「あ、あれは……」
「そうだよ、星矢。あれこそ八十八の聖衣の頂点に位置する最強の
思えば聖域にいた頃のアイオリアは、修行中の聖闘士を監督する際はいつも訓練着の姿であった。だからこそ彼の見慣れぬ恰好に二重の驚きがあった。太陽と見紛う程の輝きを見せる
窓ガラス一枚を隔てて対峙するアイオリアとは、互いに声は届かない。しかし、その動きは双方に丸分かりである。星矢は、逃げようにも逃げ出せない。必死に息を殺してアイオリアの動きを見守るだけだ。もっともアイオリアの方は、わざわざ動きを見せるまでもなかったが。
「なに……これは!?」
突如として、星矢たちの眼前で窓ガラスが音も無く割れた。アイオリアは一切の動作を行ってはいない。次の瞬間、星矢とシャイナは二人して自分たちの体が意思に反して宙に浮くのを感じた。そこに至って、アイオリアもまたサイキックソルジャーだと勘付いた時には遅い。二人の体は外へと引っ張り出されてしまう。
「久しぶりだな、星矢よ」
よく通る低い声は、聖域で談話したアイオリアの物だ。だが、そこに親しみの類は感じられない。その懐かしさと畏怖とが合わさった戸惑いに襲われている間、星矢の背後でガラスが元通りに復元されていく。ジャミアンのそれとは比べものにならない程の強大なサイコキネシス。アイオリアが、正しく名ばかりではない真の黄金聖闘士だと納得するには十分であった。
「なるほど、今度はアンタが相手って訳か。なるべくなら、アンタとは戦いたくなかったが……」
眉をひそめて腰を落としながら、星矢はアイオリアの攻撃に備えた。アイオリアは、ただ静かに星矢を見つめている。任務に当たっての緊張感は持っているものの、そこには強者ならではの余裕もある。標的が昔馴染みの星矢だからといって、躊躇いは微塵も見受けられない。すると、そこへシャイナが割って入ってきた。
「アイオリア……星矢は、私の獲物だよ。私が必ず仕留めてみせる……。だから、この場は……」
いつもの苛烈な性格からは想像もつかないほど弱々しく懇願するシャイナ。声を震わせ、身振り手振りを交えて何とか説得を試みようとする。しかし、アイオリアは静かに冷酷に首を後ろに反らす。
「ならん。教皇猊下は、私に
アイオリアの言葉がシャイナの心臓に深く突き刺さる。この黄金聖闘士は、自分の秘めた想いに気が付いているのだ。そのことを悟らされ、シャイナは力無く膝から崩れた。女といえども白銀聖闘士のシャイナが、実力で星矢に劣るとは考えにくい。もしもシャイナが星矢に返り討ちにされる要因があるとすれば、それは聖闘士ではなく一人の少女としての心情だ。
「さあ、そこをどきたまえ」
先程と同じく、アイオリアは直接手を下さずとも念じるだけでシャイナの体を横へと吹き飛ばす。彼の目標は、あくまで星矢のみ。その星矢と指呼の間まで接近する。
「くっ……俺だって、むざむざとやられるつもりはない。最下級の青銅聖闘士が、白銀聖闘士だって倒した技がアンタにも……最上級の黄金聖闘士にも通じるかどうか試してやる！」
追い詰められた鼠が猫をも噛むが如く、星矢は渾身の流星拳を繰り出す。聖衣を身に付けておらずとも、高められた小宇宙はマッハを遥かに超えてアイオリアに襲い掛かる。それを前にして、アイオリアは身動き一つしない。
「ち、違う……」
その認識が誤りであると、星矢はすぐに思い知らされる。星矢の放った百発の弾丸は、いずれもアイオリアの体をすり抜けて夜空へと舞い戻っていく。流星拳の命中率には、星矢も誇るところがある。まして、この距離で外すはずがない。
「避けたのか……だが、その動きが見えなかった」
「当然だ。お前たち青銅聖闘士の動きは、マッハ十が関の山。白銀聖闘士とて、マッハ数百から数千が常。稀に六桁の域に達する者もいるが、それとて音速止まり。だが、我々黄金聖闘士は違う。黄金聖闘士の速度は、最低でもマッハ八十数万……全員が亜光速以上の速さを体得しているのだ」
淡々と実力の差を述べるアイオリア。その天文学的な数値に、星矢は一瞬理解が追いつかなかった。分かっていることは、百発もの流星を回避するアイオリアの動きが、星矢の目では全く捉えられなかったということ。もし、それを攻撃に転じられたら星矢はどうなるか。論より証拠とばかりに、アイオリアが右手を顔の位置にまで挙げる。
人差し指だけを伸ばした右手を、自身の顔の高さで固定する。標的である星矢の方へと向けるまでもないと言ったところか。その指先が光ったと認識するより早く、衝撃波が星矢の体に届く。攻撃の軌跡が見えない、などというレベルではない。
「情けだ……苦しませたりはせん。心臓を一突きにしてやる」
伸ばしていた人差し指を折り曲げ、拳を固める。先ほどの光は星矢の衣服を破り、胸元をはだけさせただけに留められたが、今度は確実に心臓をぶち抜かれるだろう。露出した星矢の胸板が、激しく上下する。脳みそは恐怖することすら忘れているが、心臓は灼熱の鼓動を繰り返し、肺は一生分の空気の循環に追われている。星矢に出来ることは、己の死を覚悟してアテナに謝罪することのみであった。
「さらば、星矢」
先程よりも、やや大き目の閃光が瞬く。それが星矢の胸を貫いたのか、星矢の頬に熱い飛沫が飛びかかる。いや、それにしては星矢の体は全く痛みを感じておらず、生きている実感も失われてはいない。不思議に思って視線を下ろすと、いつの間にか自分とアイオリアとの間に身を投げ出した人物がいたことに気が付き、その人の名前を叫ぶ。
「シャイナさん！」
アイオリアの右腕は、星矢にまでは届いていなかった。代わりに身を挺したシャイナの聖衣を砕き、その背に大きな風穴を開けている。衝撃によって仮面は外れ、いつか見た可憐な素顔を星矢に晒している。
「シャイナ、君はそこまで星矢のことを……」
アイオリアの驚嘆など、もはや二人には聞こえていない。星矢にもたれ掛かるようにして、シャイナはうっすらと微笑んで見せた。ようやく我に返った星矢は、自分を庇ったシャイナを抱き留めたくて、同時にあまりに痛々しい傷跡がために力を込めることが憚られて立ち尽くしてしまった。
「シャイナさん……どうしてだ？ どうして、俺を助けて……」
「星矢、まだ分からないのか？ シャイナの気持ちが」
反射的に顔を上げた星矢の目に映ったアイオリアは、さっきまでのような険のある表情はしていなかった。ギリシアで幾度となく見せてくれた、良き先達の顔だ。
「お前が聖域で、シャイナの素顔を目撃してしまったという噂は聞いていた。知っているのか？ アテナから戒められた掟を破り、仮面の下の素顔を見られた聖闘士の女子が取るべき行動を。それは見られた相手を殺すか、さもなくば相手に殺されるか。だが、もう一つだけ選択肢がある。それは、素顔を見られた相手が自分の愛する男であった場合……」
「聖闘士であることを止め、その男と……添い遂げるか」
苦しい息の下で、シャイナが告げる。選びたくても選べなかった彼女の答えを。思慕と宿命の狭間で常に揺れ動いていた、自身の苦悩を。
「でも、星矢にとっては……迷惑だよね？ 私とじゃ……こんな、戦いしか知らない、私なんかとじゃ……」
死に瀕して、その人が告げる言葉に偽りがあろうか。これまで伝えたくても伝えられずにいた想い。あの日、初めて仮面の下の素顔だけでなく仮面によって封じられていた真心を知られた相手。修羅の道を歩んでいた自分に、初めて人並みの優しさを示してくれた相手。その愛した人を自分の手で葬らなければならない苦しみと葛藤。
それらを聞かされて、星矢からも躊躇いは消えた。その赤心に応えるが如く、精一杯の力を込めてシャイナの体を抱きしめた。もしも違う星の下に生まれていれば、愛を育むことが出来たかもしれない相手を。
「シャイナさん……。ごめん……ごめんよ」
「いいんだよ、星矢……私が、勝手にお前を好きになってしまっただけさ。こうして、最期にお前の小宇宙を……優しい温もりに触れることが出来た……。それだけで、幸せだよ……」
血まみれの愛を確かめ合う二人の上で、星が一つ流れて消えた。
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